2009年07月03日

お父様はこう言うと思っていたのに・・・

まずご覧ください^^
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↑ここでは、さらっと証されていますが、その胸の中には、いろいろな心情を通過されたのだと思いました。
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私は訓読会に、完全に頭をそって、くるぶしまで隠れる長い灰色の衣を着て、手首には数珠を持って参加するようになりました。多くのメンバーは、信じられない思いに、あごが外れるほど驚いて、批判するこえは次第に強くなってきました。ある人は、私に「お父様の顔に唾を吐く」まねをしていると言い、あるいは「仏教はサタン的だ」といいました。
このような見方に触れる時に私が気がついたのは、「もしも一つの運動体として私たちがそのような観点をもつとすれば、”絶対に”世界を助けることもできなければ、癒すこともできるはずがない。世界平和に貢献することもできない」ということでした。

私は、裁きに満ちた視線を受け、お父様も息子を「正しく矯正できていない」と批判を受けておられることまでも分かりました。挑戦的な態度で反論したいという気持ちも強くありましたが、しかし憎しみは誤解をますます深めるだけであり、火に対して火でもって闘えば、さらに大きな炎となるだけであり、ただ愛の心のみが、憎しみの火を消すことができると悟りました。

実は、正直に言うと、私も、99,999パーセントのメンバーたちと同じように、お父様はきっと私の研究と仏教のような格好をしていることに対して、激しく反対されるのではないか、と思っていたのです。お父様は、キリスト教だけを唯一の真の道であると見る根本主義者であり、それゆえに仏教や道教に関心をもっている私は、破門されるのではないかとも思っていました。
しかし、それは事実とは全く正反対だったことが分かったのです。お父様は、私が宗教に深く関心をもっていることを非常に得意に思われ、きょうのきょうまで、宗教の研究を続けよとおっしゃるのです。このことにより、私はこのように自問せずにはいられませんでした。「もしも実の子である私が、この父を完全に誤解していたとするならば、ましてや他の人々が、いったいどれほど完全にこの方を理解できるのだろうか」と。

「はげ頭と苺」P56P〜58


統一教会は、本当に誤解の多いところだと私は思います。
マスコミも、よく統一教会のことを報道して下さっています。

残念ですが、悪いうわさばかりです。
私も、そうじゃないのに・・・なんてよく思います。
反対派の方の心無い言葉に憤りを感じることもありますが、”ただ愛の心のみが、憎しみの火を消すことができる”なのです。

統一教会の教えは、素晴らしい内容だと思っています。

統一教会は、良いことを沢山していますよ。
何故、それを報道してくださらないのでしょうか?
視聴者も、世界に貢献している部分も見たいと思っているのではないでしょうか?
たぶん、(統一教会=悪の団体)という式図は、もうあきあきしていると思います。

最近、感動の〜なんていう番組が沢山ありますよね。
私たちは、良くないニュースは毎日たくさん聞いています。
だからこそ、感動するよいドラマや、ニュースが、どれほど本当は欲しているかしれないと私は思います。

統一教会を調べれば調べる程、良いことが出てきて、大変かもしれません^^

私は、根本的に人間は、”善”を好む生き物だと思っています。
重箱の隅をつつくのではなく、もっと、根本的な、本来意味している事に目を向けて欲しいと願います。

統一教会は、世界平和の為に外部の団体とジョイントしてさまざま社会運動を行なっています。その中の1つである、GPF-Japan 2009.3.1)を紹介します。
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2009年07月02日

毒の矢

怒りや恨みとかが起こってくるそれぞれの瞬間において、自分には”選択の余地があった”ということが分かりました。一方では、極度に失望し、怒るという選択もできたと同時に、もう一方では、そのことに影響されないようにするという選択もできたということです。自分自身が、自分の苦しみをつくり出していたのでした。
歴史的人物であるインドの仏陀の教えによると、その状態はちょうど、憎しみ、怒り、恨みという、”毒の矢”を射られた状態だというのです。

この矢は、自分の心の否定的で惨めな状態のことであり、私たちは常にそれをこの人のせい、あの人のせいだと責めたがり、あるいは、どれほど自分は腹を立てているかということを表現したがるのですが、その間、ずっと矢はそこに刺さったままなのです。
私たちは、自分がいかにその矢によって毒を受けているかと不平不満を言うことを”選択”するのであり、あるいは自分たちが、その矢がある結果として、どんなに駄目になり腐っているのかと不平不満を言うことを選択するのですが、その矢を取り除こうという”選択”をしないのです。こうして私は、自分が困難をうまく乗り越えることができないのは、自分自身の恨みと怒りに対する執着心のゆえであるということに気がついたのでした。

「はげ頭と苺」P55

他人の一言で、傷ついたり、怒りがこみ上げてきたり・・・だれでも一度や二度、あるのではないでしょうか。
問題は、その時に、腐ってしまうのか、その毒の矢を早く取り除こうとしようとするのか。

いつまでも、あの時こう言われた、ああ言われたと、憶えているかぎり、その事に縛られ、胸に毒の矢がささったままだと言うことになります。

そして、さらに、その毒の矢が刺さらないようにも出来たかもしれないということです。

それは、心の広さに反比例すると思います。心が大きければ大きいほど、胸に矢が刺さるスペースが狭くなると思います。


私は昔学生の頃、イラストレーターになりたいと思っていました。
が、親が、絵の道に進むのを反対したから、この夢は終わってしまった。なんてずっと思い、それこそ、反対した親を恨んでいたりもしていました。おはずかしい。

今思えば、反対されようと、決めるのは自分。
学校に行けなくても、いろんな道があったはずですし、何よりも、親のせいにして、自分の力量のなさを言い訳していたに過ぎなかったと思います。
何年もつまらない生活をおくっていたなぁ〜と思います。

自分がその事に気づき、人のせいにしなくなってからは、不思議なことに、HPのデザインや、チラシのレイアウトなど、気づくとそんな事していたりします^^
執着していたのは、本当に自分だったと感じます。

これは、人間関係にも言えることだと思います。
自分自身、家族関係、会社や、世間体、マスコミ、国際情勢などにも。

恩讐を愛する。
愛するまでいけなくとも、せめて、許すこと。
それでも、とても太くて大きな矢を抜かなくてはならない作業だと思います。
そう、簡単なことではありません。
でも、抜いてしまったら、とても身が軽くなることと思います。
そして楽しい人生になると思います。

頭で分かるだけでなく、体で、心でわかるようになるには、まだまだな私だなと感じるのでした。

海のような宇宙のような広い心にないたいなと思います。


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2009年07月01日

アインシュタイン

アインシュタインによる「相対性理論」(E=mc2)、すなわちエネルギー=物質という理論は、科学界を驚愕させました。
けれども、それよりももっと驚くべきことは、彼は自分のことを、深く霊的な人間であるととらえていたということです。

これらの物理学界の先達は、私たちが存在しているかどうかも知らない事柄について解明するために、命を捧げていった人たちであり、また私よりもはるかに多くのことを知っている人たちですが、その彼らが深く深淵な霊的生活を営んでいたということです。「何か私にはまだ分かっていないが、神という観念を正当化できる何かがあるに違いない」と考えたのです。

もしも量子(Wikipedia)物理学が正しければ、宇宙エネルギーというものは”存在する”ということになります。というのは、すべての物質は分子からできたおり、その分子は電子、陽子中性子やその他の亜原子的存在によって構成されており、そしてそれらは、量子によって構成されているからです。
今まで、常に耳にしてきた「万有原力」というもの、それはどこにでも遍在していて、すべての存在に形態を与え、しかもそれ自体が形状を与える”存在”であるという。これが正に正しい概念であったという実証を、初めて認識できる形で明白に見ることができました。これは非常に驚きました。

もしも、これが正しいということになれば、私が成長しながら遍在する神について聞いてきた事柄も正しかった、ということになるーしかも科学的に。

「はげ頭と苺」P51〜P53

私は、実は、理数系です。
と、いっても頭は悪いですけど・・・。
科学的に・・・なんていうと、少しワクワクしてきます^^

昔は科学と宗教は別物と思っていましたが、この世が、本当に神様が創ったとするならば、科学で証明できないことはないと思います。
科学は、この宇宙、3次元の世界の法則や仕組み、原則を解いているものだからです。

今や、5次元の世界が存在するかもしれないと証明されつつあると聞きます。つまり、霊界の存在の解明です。→そーむの独り言のブログ

科学は、神様を否定するためにあるのではなく、神様の姿を明らかにするためのもの、自分自身を知るためのものだと思います。

科学を探し求めてきた宗教と、宗教を探し求めてきた科学とを、統一された一つの課題として解決することのできるその時が、今この時代、やってきていると思います。


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