2009年07月06日

探究

「誠」が私に教えてくれたことは、「求めれば”見いださない”であろう、そして、求めなければ見いださないであろう」ということでした。つまり、”求める”ことが重要なのではなく、むしろ、そう”成る”ことが重要なのだ、ということだったのです。平和を求めることが重要なのではありません。というのは、求めればそれはいつも一歩先にあり、いつも私たちから逃げていくでしょう。むしろ平和に成ることが重要なのであり、ひとたび成れば、もはや求める必要がなくなります。幸せを見つけることが重要なのではなく、むしろ幸せに”成る”ことが重要なのです。

私たちは、平和(そのもの)に成らなければならないのであって、平和を求めるのでは駄目なのです。私たちは愛(そのもの)に成らなければならず、慈悲にならなければならず、赦しに成らなければならず、同情に、理解に、徳に、情け深さに、忍耐に、謙虚さに、感謝に、親切に・・・。成らなければならないのです。それを求めている限りは、それをこの世に実質的にもたらすことは、決してできないでしょう。

しかし、もしもそれに成るとすればー新しい瞬間を迎えるたびごとに、また新しい機会を迎えるたびごとに、繰り返し”成らねば”ならないのですがーこの世界を明らかに、より良い世界にしていくことができるでしょう。

「はげ頭と苺」P75〜P76

求めて、与えられるのをただ待っているのではなく、建設していくところに実現される。そう感じました。

夢は夢、夢は見るものではなく、叶えるもの。

私たちがしていることは、理想を夢見ているのではなく、現実の世界に、平和を建設していくことです。実現していくことです。

私たちは愛に、慈悲に、赦しに、同情に、理解に、徳に、情け深さに、忍耐に、謙虚さに、感謝に、親切に・・・。成らなければならないのです。

統一教会に最初きた動機の一つに、
自分が成りたい自分に成りたいがありました。
あらためて思います。成りたい自分に成ったといえる自分になりたいです。

★--------★--------★--------★--------★-------

*今日も読んでくださり、ありがとうございます!*
↓よろしければ応援クリックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ
にほんブログ村

★--------★--------★--------★--------★--------
posted by はっぴー at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

ハワイの宝石

「原理講論」に書いてあるメシヤの使命は、すべての国民と宗教と人種を統一することだと念をおしました。様々な宗教が救い主を待っているという話をし、自分が宗教の研究をする中で、”救い主”というものが、ほとんどの宗教的伝統の中で、共通に見られる宗教的モチーフーイスラームのシーア派においては”マンディ”、仏教で”弥勒仏”であり、キリスト教では”再臨主”、ヒンドゥー教では”カルキアバター”、そしてユダヤ教では”メシア”とよばれるーであることを学んで、いかに感動したかを話しました。

この運動が行くべき正しい道は、キリスト教の新たな教派になることではなく、ちょうど救い主がすべての伝統と国民と人種とに対して、サーバント・リーダー(僕の立場で仕える指導者)にならなければならないのと同じように、この運動もすべての伝統を包摂し得る運動となっていかなければならない、ということ。

将来の統一運動において重大な問題となってくるのは、ある信仰指導者から来た人が、真の父母様に直接行けるのか、それともその人は最初に、イエスを受け入れなければならないのか、という問題です。

お父様が確信しておられることに注目するならば、どうでしょうか。
例えば、

@最も中心的な秘蹟である祝福を、参加者に自分自身の宗教を変えることを要求することなく分かち与えている。

A天界においては、様々な宗教共同体が、自らの宗教を保ちながらも互いに尊敬し合っていることを証明する、天界の様子を描いた霊界のメッセージ。

Bイエス、釈迦、孔子、ムハンマドをはじめ、他の歴史的人物たちを統一の伝統における聖人の列に加えている。

これが、世界を変えることができ、真実でかつ永続する平和をもたらすことができ、すべての人種、国家、宗教に属するすべての人々を一つにすることができると、私が信じているビジョンです。これが、私がハワイで発見した真実の宝物でした。

「はげ頭と苺」P66〜P69

キリスト教の新たな教派になることではなく、すべての伝統と国民と人種とに対して、サーバント・リーダー(僕の立場で仕える指導者)にならなければならない。

救いのためになんとかやめさせよう、ではないのです。
どこまでも万民の救いのために生きようという事です。
これだけみても”宗教にやさしい”ですよね^^

Aの霊界のメッセージについては、今度ご紹介していきたいと思っています^^

世界が一つとなり、神様を皆が知り、地上天国ができたのなら、宗教は必要なくなります。
もちろん、統一教会もなくなります。
統一教会という名称は関係ないのです。

そんな世界が早く来ることを願います。

★--------★--------★--------★--------★-------

*今日も読んでくださり、ありがとうございます!*
↓よろしければ応援クリックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ
にほんブログ村

★--------★--------★--------★--------★--------

posted by はっぴー at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

真の宇宙的な心

私が、お父様と話す中に示された心ー私が真の宇宙的な心であると信じているそのような心ーを反映した人に、いまだ一人も会ったことがありません。宗教指導者の神学の発展と進歩について注目することが、非常に重要であると思います。お父様が「原理講論」、あるいは初期において体系化された教えを超えて生きておられ、今でも「統一原理」をたゆまず発展させ、新しい内容を教えていらっしゃるということを、多くの人は忘れています。
不幸なことですが、よくあることは、従う者は指導する者よりも、はるかに考えが狭いということです。お父様はこのようにおっしゃっていました。「私に従う人たちは、太陽の光を十分利用することすらできる時なのに、ランプの光で満足しているのだ」と。しかし幸いなことに、私が出会った統一信徒の大半は、ある教派からは通常”サタン的だ”とみなされている他の宗派に対しても、深い評価と尊敬心をもっていました。
宗教における根本主義は、時に殺戮、侵略、聖戦などの恐ろしい残虐行為を正当化するために利用されてしまう、重大な害毒です。その最も中心的な欠如として、全人類が、共通の神聖なる根源から由来する兄弟姉妹であると見ることができないという性質をもっています。「救われた者」か「呪われた者」かという立場からしか見ることができないのです。

しかし、お父様の教えは、私たちは一人では天国に入れないのです。家族と一緒にーそうです、人類という家族とー入るようになっている、というのです。その教えは”万民の救い”であり、ヒトラーやスターリンや、あの悪魔サタンさえもが神の広大なる愛の中で赦されたというのです。

「はげ頭と苺」P59〜P60

「私に従う人たちは、太陽の光を十分利用することすらできる時なのに、ランプの光で満足しているのだ」

統一教会に出合って、真理に出会い、それだけで満足してしまう。
それだけでは、地上天国はできません。

愛の実践、あるいは、よりいっそう原理を求め研究し、広い視野をもって、天国を建設していかなければ、何も変わらないのです。
そして、私自身が証し人となれるように、文先生を研究し、文先生の似姿とならなければいけないと思います。

しかし、自分が文先生を証せる姿となれているのかどうか自信がもてず、臆病になっているのも確かです。

すぐ近くにいる、会社の同僚、ご近所の方、何よりも、親族、家族など、より近い者ほどシビアに見られていると思います。

神様と、天運と共に歩める私たちですから、もっと自信をもって文先生の心”真の宇宙的な心”を発信していけれたらと思います。

がんばります!!

★--------★--------★--------★--------★-------

*今日も読んでくださり、ありがとうございます!*
↓よろしければ応援クリックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ
にほんブログ村

★--------★--------★--------★--------★--------
posted by はっぴー at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。