2009年07月09日

エゴ

今、自信に満ちていると思っていたのに、その場に誰かが歩いて入ってくると、とたんに恐れを感じ、自信も大してなくなってしまう。それで、直ちにその人に敵、あるいは競争相手、すなわち自分よりも優れているか劣っている誰か、というレッテルを貼る。このように、私たちは自分のエゴに対する神経症的な、ほぼ病的といってもいい強迫観念の中に生きています。万難を排しても守らなければならない私のエゴであり、保存されなければならないエゴだというのです!

もちろん、誰でも自分を正直に見てみれば、自分がしょっちゅうそういうことをやっていることが分かると思います。
私たちの自信や自尊心が、「エゴ」と呼ばれる、常に移り変わっているいろいろなものの混合体という不安定なものに由来するものであれば、「自信」とか「自尊心」とかいってみたところで、それがいかに薄っぺらなものであるかが分かるでしょう。
たったの一言でもって、私たちの防護線は、あるいは安心感、充実感、勝利感は脅かされるでしょう。ほんの少し心理状態が変わるだけで、あるいは精神状態が変わるだけで(しかもこれは必ず起きることですが)、自信の思いは壊され、圧倒的な疑いに取って代わられてしまうでしょう。

では、私たちが真の自信をもつことはできるのでしょうか。
真の自信というのは、私たちが”真の自己”、本心、そして神に連結した時においてのみ生まれてきます。別の簡単な言葉で言うと、それは私たちに生まれながら備わっている、温かく、慈悲深く、また愛と思いやりと同情心に満ちた心情の、その質を深めるということです。

私たちの内に自然に備わっている、他を愛し助けようとする性質が、心の安定性の源泉です。本心の愛したいという本性の中に安息できるので、本当の安心を得ることができます。

自分のエゴを捨てて空っぽにし、神様が私たちを満たすことができるようにすれば、神様の心情の中に深く入っていくことができ、どんどん近くなれますー正に”死なんとする者は生きる”のです。

「はげ頭と苺」P86〜P90

本来、私の中に自然に備わっている、他を愛する心。
堕落することにより、それが、隠れてしまい、自分の心、身までも脅かしています。

神様とつながっていれば、心が安定し、心が安らぐ。
そのことを、始めから知っていれば、誰も一人ぼっちで、独りよがりで、不安で孤独で、移り変わりの激しい心情が、良い。なんて人は、あまりいないと思います。

エゴを捨てていくということは、本来の、本当の自分に成ること。
神様が創造してくださった本来の自分が表に出てくるということです。
何も自分は変わる必要はないのです。
隠れている自分の神様を表に出していく作業ともいえるでしょう。

しかし、頭で分かったとしても、今までの人生において、なれ親しんだ癖、思考パターンになかなか抜けきれずに、本当に苦労すると思います。
これは、血が受けついできた、遺伝してきたものであると考えると、とてもうまく表現できると思います。
反対に簡単なら、今頃誰もエゴを必要とする人はいないでしょうし、なくなっていると思います。
それができたとき、心と体の一体化は実現するのだと思います。

簡単な様でも、これが一番難しく、分かっているつもりでも、分かってなかったり、私の中でも、このエゴとの問題は、信仰を持っていても、もっていなかったとしても、変わりません。
乗り越えなければ成らない試練であり、信仰課題であり、人生のテーマでもあるように思います。

私も例外なく、もれなく、エゴのかたまりです。(^^;
しかし、このエゴは、本質の自分ではなく、取っていくことができるということが、何よりも、救われます。

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2009年07月08日

自己反省

霊的探究の道というのは、険しい道です。

その道の見晴らしは、いばらが密集する、たくさんの致命的な落とし穴だらけの道です。しかし、ジャングルを横切っていこうと試みる前に、ジャングルとは何なのかを、よく知っておく必要があるのではないでしょうかー少なくとも、私はそういう意見です。

私たちは、この間違っていた仮定に恐れず真正面から迫ることによって、無知の道から開放され始めるのです。そのようにして私たちは、霊的探究の道とは何なのかを発見することができ、しかも発見しただけではなく、それに”成る”ことができるのです。霊的探究の道とは、大きく、”成長する”道ではなく、実はより深くなっていく道であり、自分のエゴを捨てて、”神の前にゆだねる”道であり、”自分の中から自分(エゴ)を空っぽにする”道であり、”死んで再び活きる”道でした。神様の絶対善の威厳の前に、自分を完全にゆだねていく道が、真の自由を得る道なのです。

真に、自分の憎しみ、怒り、貪欲などを自ら放棄するすることによってのみ、真に自由になることができます。

「はげ頭と苺」P84〜P85

霊的探究は、宗教全般も意味していると思います。
神様ご自身が霊的な、目に見えないお方だからです。

目に見えないものよりも、目に見えるものに、より価値を置いてきた私たち、自分自身だったのですから、それを、目に見えないものに価値を置いていくことは、本当に至難の業といえるかもしれません。

でも、変えたり、成長するのではなく、より、人間として深くなっていく道であると書いています。

年配の方が、人生において深くなっていくのは、このようなことなのでしょう。
しかし、そこに神様がいなければ、結局、自己満足、エゴの塊ともなりかねない怖さも潜んでいます。

どこまでもどこまでも、はてしなくはてしなく、自分を捨て、空っぽになって、神様に委ねていける自分と成っていけれるように、慎重になって行く道なのかもしれません。
そして、世間に、身近な愛する人に、もしかしたら神様に、砕かれ、砕かれ、行く道なのでしょう。

道に外れたことを気づき、悟ることのできる自分でありたいと思いました。

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2009年07月07日

そのドアの後ろには悪魔がいる

「霊的探究の道とは何ですか。霊的探究の道とは「自己改善」の道であり「自分を成長させる」あるいは「発展させる」道である。分かりますね」。
私がこう尋ねると、圧倒的に返ってくる答えはこうです。「もちろんそうです」。「間違いない」、「そのとおり」(少なくとも私がこの質問をした時は、ほとんど全員がそう答えました。)
ところが残念なことに、そのような考え方とその道は、皆さんが”悪魔”に近づいて行く道なのです。

どうしてその道が悪魔につながる道なのでしょうか。これは霊的探究の道ではなかったのでしょうか、自分がより改善されて、聖人のようになれる道だと思ったのですが。
実は、これこそが霊的探究の道に潜む、危険なわななのです。心、心情、感情、心理学、良心、霊等を扱う時というのは、非常に微妙なのです。ほんのわずかな無知、一つの誤解、一つの欠陥のある前提によって、自分も知らないうちに、とんでもない醜い場所に行ってしまうことになります。

これが正に、”悪魔”が神に対して見せた傲慢であり、プライドであり、思い上がりなのです(この問題は、様々な宗教の教えの中にも指摘されています)。

不幸なことにその道は、人をもっと自己中心にとならせ、自分のことだけに夢中にならせ、自分のことしか考えないようにしてしまうのです。

「はげ頭と苺」P80〜P82

私はよく、謙遜傲慢だと言われて来ました。
謙遜そうに振舞っているが、実は、心の中は傲慢だらけ・・・。

皆のようにできない。勝利できない。闘えない・・・。そういう思いが多ければ多いほど、苦しさから逃げようとしていたのだと思います。
そして、少し勝利するたびごとに、傲慢になる。傲慢になると、恐怖にさえ思っていた時もありました。

周りから傲慢と思われるのなら、極力目立たず、勝利せず・・・。
なんて浅はかな考えが巡って、それこそ、自分のプライドを傷つけられたくない事への裏返しだったと思います。

そんなパッとしない私でも、あきらめずに、何度も失敗してもさじを投げずに見守って下さった神様。
今はなんと家庭をもって、子供も二人も授かりました。
ありがとうございます!

当時の私を知っている兄弟姉妹に今の自分を知ったとしたら、たいそう驚きと神様を感じることでしょう^^

何を言われても、謙遜傲慢であっても、辞めなければ、いつかは変われるし、何かを勝利することもできるはず。
自信があって歩む道ではないと思います。
自分を否定されて、苦しい時もありますが、それは自分が一歩変われる瞬間でもありますよね。

統一教会も、いろいろ言われてしまいますが、今、何かを勝利できる時なのだと感じます。

サタンの血を受け継いでいる以上、しかたがないと言ってしまえば、仕方がないのですが、それで甘んじることなく、今、出来ることから、こつこつしていくことが、自分には、大切だと思っています。

主人から、私はよく、強いと言われてしまいます(^^;
自分では、弱いと思っているのですが・・。
守ってやりたいと思ってもらえるかわいい妻になりたいです(^o^)/

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