このような世界においては、多くの人々は、宗教に対してかえって懐疑的になり、実は宗教こそが問題であるとすら言うこともあります。
しかし、この分析は完全ではありません。ほとんどの場合は、政治的、人種的底流が、宗教的衝突を促進するからです。宗教的狂言者たちが、宗教を利用して殺戮を正当化しようとすればできるし、またそうしてきているといっても、しかし、それは事実の一側面にしかすぎません。どれほど多くの場合、宗教の教えによって、殺人が思いとどめられ、避けられ、停止されたことでしょうか。
私の考えでは、宗教というものは、確かに問題であるようにも見えるのですが、逆説的に言えば、実際に”平和”を実現しようとするならば、そのたった一つのチャンスは宗教にあるとも言えるのです。
宗教の確信的メッセージは、人間を、より愛のある、より慈悲深い者となれるようにするものです。殺せ、強姦せよ、盗めなどと露骨に教えている宗教というものを想像できますか。それは地獄でしょう。
お父様がよくおっしゃることは、本来、理想が実現された状態にあっては、宗教というものは、必要がないということです。私は、このことが宗教的伝統を破壊し、抑圧せよということではないと信じています。
つまり、そうであれば、あの悪なる共産主義の繰り返しになるからです。
むしろ、私たちはどの教派に属していたとしても、互いに異なっていると感ずるよりも、もっと互いに似ていると感じるようになるだろう、ということかもしれません。
あるいは、人の中に存在する善なるもの(本心)を見なければならない、という根本的自覚について語っているのかもしれません。
私たちの教派を土台とした意識構造を乗り越えて、互いを同じ人類、兄弟姉妹として見ることが出来るようになれ、と言っているのかもしれません。
「はげ頭と苺」P94〜P96
この文を読んで、「戦場のメリークリスマス」、「シンドラーのリスト」など思い浮かびました。
日本にいると、今もなお争いが絶えないことなど、忘れがちですが、最近もニュースでみかけます。
戦争でなくても、殺人のニュースは、日本でも日常茶飯事。
もう、法律や規制では、ゼロにはならないのではないかと思います。
ゼロにする方法、それは、やはり皆の意識を見直すしかないと思います。
何が善で、何が悪いことなのか。
当たり前に思えますが、それが本当の意味で分かっていないから、殺人なんてことが毎日起きてしまうと思います。
そうすると、宗教がどれほど重要になってくるかと思います。
文先生も、自分の宗教を大きくしたいがためではなく、平和に通じる道だから、あえて、宗教のスタイルをとったに過ぎないのかもしれません。
一部の心のない言葉よりも、本質を見極めて、人の中に存在する善なるもの(本心)を見る、という根本的自覚をもって生きたいと思います。
最後に私の好きな曲です^^
本当に癒されます。
ねずみのベンの事を歌ってますが、どこか宗教に対しても重なって聞こえてきます。
わかろうとする心は本当に大切ですね。
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