私が人を疑う時、私は苦痛を感じる。
私が人を審判する時、私は耐えることができない。
私が人を憎悪する時、私は存在の価値を失う。
しかし、もし私が信じれば、私は間違いなくだまされる。
もし私が愛すれば、私は反逆に遭う。
今宵、私の頭と身は、苦痛と悲しみに震えている。
私が間違っているのか?
そうだ、私が間違っているのだ。
しかし、私がだまされても、私はまた信じる。
私が反逆に遭っても、私はまた赦す。
私は私を憎悪する者を、ことごとく愛するだろう。
おお主よ!愛するという痛みよ!
私の手を見てください。
この私の胸に主のみ手を当ててみてください。
私の胸は、言うに言えない苦悩の中で破裂しそうだ。
しかし、私は反逆した者を
私が愛する時、勝利を成就するだろう。
もし、あなたも私のように愛するなら
私はあなたに栄光の王冠を捧げよう。
「栄光の王冠」文鮮明 1936年(16歳の時に書かれる)
「はげ頭と苺」P148〜P149
恩讐を愛する。
自分を攻撃するもの、愛せないものを愛する。
実際に実践してこられたからこそ、この詩が生まれたのだと思います。
文先生と志を共にする者が現れ、同じ心情を味わい、苦痛の中、あえぎながらじっと忍耐し、それが感謝の心となった時、初めて文先生の心情を理解できるようになれるのではないかと思いました。
韓国の映画でも見られる傾向がありますが、
韓国の国民性には、「恨(ハン)」というものがあります。
あだ討ちを美談にしてきた日本には分からない世界だと思います。
「うらみ」ではなく「ハン」です。
韓国歴史の中、ずっと侵略され続けた国だからこそ、生まれたものだと聞きます。
自分の中でグッとこらえ、誰かを恨むのでもなく、自分を責めるのでもなく、行き場のない、どうしようもない心情のことです。
しかし、それであっても、前向きに生きていこうとします。
すぐ何かと誰かのせいにしたり、自己正当化ばかりしてきた私にとっては、こんな世界を理解するのは、本当に時間がかかったし、まだ、本当の意味としては、理解していないと思います。
誰かを恨んだり、自分を責め続けて動けなくなる事は、ある意味、楽な方法、手段だと思います。
神様も、人類が堕落してから、この「憎(ハン)」の思いを抱いて来たと言います。
そんな神様の心情を解放できるのは、私たち一人一人です。
誰が欠けても解かれません。
私たちの救いは、神様の救いでもあるのです。
☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆
今日は私から感謝をこめて^^
私の大好きな曲スリーバージョン!
o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o ヤッターーー
★Global Peace Festival のテーマソング
「One Family under God」by Limi&Miki日本語版^^
(邦題:ここからはじまる)
(”color of love”大好きです^^)
↓↓↓
★GPFオリジナルテーマソング
"Where Peace Begins"
GPF2007フィリピン版^^
↓↓↓
★GPFテーマソング・マレーシア版^^
"Where Peace Begins by Jaclyn Victor and Danell Lee"
↓↓↓
今日で「はげ頭と苺」読み終わりました^^
また明日、新しい本を読んでいきます!
お楽しみに(^^)/
★--------★--------★--------★--------★-------
*今日も読んでくださり、ありがとうございます!*
↓よろしければ応援クリックお願いします

にほんブログ村
★--------★--------★--------★--------★--------