2009年09月17日

子供たちへの二つの徳目10

「あなたは、無限の創造性、そして無限の革新的な能力と自由をもつ存在でしょう。あなたが考える二つの極端な選択の間には、ほかに数多くのよりバランスの取れた対応の仕方があり、またその中であなたは、無限の自由を見出すことができるのです。あなたの言うとおり、もしあなたが極度の怒りを表せば、娘との関係を傷つけることになり、また極端に受容的になることも、やはり関係を傷つけることになると思います。なぜかというと、自分にはもちろん、人に影響を与える結果については娘に教えようとしないからです。
「天和堂」P159


The last drop / Tambako the Jaguar (on the sea)

「人に与える結果について」
何かを教える、それは、このことなんですね。

ただ、こうしなさい、ああしなさい、ではなく、自分自身、そして、周りの人に対して、自分が言ったこと、行ったことが、どう影響するものなのか教える。
教えの中心部分、大切さを学びました。

自分では、良いと思ったり、自分の気持ちだけが満足するものだったり、相手を抜きにしては、どんなに考えた内容でも、人を傷つけてしまう危険性もないとはいえません。

どう考え切り出して言った言葉であっても、自分の気持ちを満足する動機だとしたら、何も伝わらないか、悪ければ、その人を攻撃する内容となると思います。

子供に対してもですが、人間関係でも、これはつねにありうることで、口からでていくものは、相手を中心に考えていなければ、汚いものになるもなのだと感じました。

子供をしかるとき、そのときは、本当に慎重にしなければならないし、ほろうも必要だと思います。
愛するときは、相手がしてほしいことや、愛されていると実感できるよう愛するとか、しかるときは相手が悟るよう、相手の心にひびくような言葉で言ってあげなくてはいけないのだと思いました。

すべて、相手のことを中心に言わなければ、すべて、どんな良いことを言っていたとしても、一般的に正しいことを言っていたとしても、相手抜きでは、どれもすべて、傷つける言葉となりうるのだと思います。

これは、少なくとも、実感するところがあるので、自分も、そうなっていたし、そうされていたとあらためて気づかされ、反省します。

ますは、だれかではなく、自分が、反省し、改めることが大切です。
み言もそうですが、誰かを裁くためのものではありません。
自分がどうなのかチェックするためのものです。

それでも、み言をもって、裁いてくる方がいたのなら、その姿は自分なのだとまた反省し、出発したいと思う今日この頃です^^;

自分の心も自分の思い通りにならず、ましてや、他人の心を思い通りになんてできっこないです。
自分が完全になくなり、神様中心になったときだけ、人を感動させる事ができ、人を導いていくことができ、人を教育することができるのだと感じました。

子供を養育することは、本当にすてきなことですが、難しく、大変なものなのですね。
自分にもできるのだろうか・・・・。
できるようにがんばるしかありませんが^^
反省しながら、前を進んでいきたいと思います。

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posted by はっぴー at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 天和堂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本当に素敵な内容ですね。私は、子供産んだことないからわからないけど・・・将来子供産んだとき実践してみよ〜かな
Posted by みか at 2009年09月18日 17:34
みかさん、コメントありがとうございます^^

みかさん、お若いですものね^^
今から希望的ですね!
近い将来、この内容が役に立つとしたら、本当にうれしく思います。
Posted by はっぴー at 2009年09月19日 17:44
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