2009年09月16日

子供たちへの二つの徳目9

ここで私は、子供たちともっと複雑で困難な諸問題を経験している両親たちには、このような例が、それほど大したことではないということを認めます。ある人が私に言うには、怒らずに忍耐心をもちなさいという意見は立派だが、あなたは、まだ子供を育てることがどれほど手に負えないことなのか、経験してみたことがないと言いました。また彼女は、私に「一緒に帰ってきて、夕べどこにいたのかについて、明らかなうそを言い、私とはどんなことも一緒にやろうとしない娘に、私ができることは何でしょうか」と言いました。私は、「あなたは、自分が考えているほどに無能ではないでしょう」と言いました。その特別な瞬間に彼女は怒ることを選択し、大学生の娘をたたきたいと思うほど怒鳴りました。また彼女は、もし怒らずにいれば、その娘は、図に乗って彼女の頭のてっぺんまではい上がってくると言いました。私は、「なぜ激怒することと、おばあさんのように優しくすることだけの二つの選択のみを考えるのか」と言いました。
「天和堂」P158


Little Puppy / Hamed Saber


私の子供たちは、まだ小さいです。
ですから、まだ、「ママ」と言って、金魚の糞のようについて回ります^^何か言っても、「はい」と言ってくれますが、大学生にもなると、そうはいかないんだろうなと思います。

私が中学生の頃、なにかと母親とドンパチしていました。
それを見て、妹は、反抗期ができなかったと言っていたことを思い出します。

なぜ反発していたのか、心を覗いてみると、よく人の話を聞きもせず、いつもお姉ちゃんだから、声がやかましいからと、そんな理由でしかられていて、理不尽さをかかえていたと思います。
そんな聞く耳のない母親の言うことに対して、反発をしていたのかもしれません。

統一教会に出会い、子供を持ち、母親の本当の気持ちを知る機会があって、今は、これほどすばらしい、素敵な両親はいないと、尊敬しています。本当に大好きです。

母親とケンカばかりしていても、それは、私をみてほしいという裏返しで、家を出たいとか、話をしたくないとか、そんなことではありませんでした。とにかく、愛してほしかったんだと思います。

ちゃんと愛していてくれていたということが、後々になってからわかり、実感し、反省と、感謝に変わりました。

私の目指す母親は、正に自分の母親です。
もっとそれ以上にならなくては、母親は喜ばないのかな?とも思っています。
そして、今はもう他界していますが、父親も。
趣味が仕事という、父親でしたが、父親の心の広さには、とても感心します。いまでも、母親は、父のことをほめます。
また、そこがうれしいんですよね^^

今でも何か迷いがあったり、元気がなくなると、すぐに実家に電話しちゃいます^^話しているだけで力がでるんですよね。なんでもない話なのに^^

私もそんな母親になりたいです。
自分にもできると信じて、いつまでもなかよし親子でいたいな^^

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ラベル:問題 選択 両親
posted by はっぴー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 天和堂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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