人が虚偽の中に生き続け、本質的な真の生活を遂行しなければ、自身と周辺に苦痛を与えることになります。真のお父様は、いつも”真”という単語を使われます。真の愛、真の父母、真の夫・妻、真の兄弟、真の子供、真の人などなど。しかし、真のお父様の弟子として私たちは、どれほど真であることを修練し、具体化させているでしょうか。私たちの人生にどれほどの真があるでしょうか。
真のお父様が”真”、または”真実の””真の””本当の”という単語を使われるのは、とても衝撃的なことです。その単語は、私たちが中心として行くべき道を根本的に、正確に指摘してくださったものなので、強烈な力をもっています。私たちは、言葉と行動だけを真にするのではなく、私たちの精神と心の中までも、真の生活をしなければなりません。これが心と体の統一です。真の姿になること、これが心身統一修練です。
自らに真実にならなければ、絶対に平和を味わうことはできません。世の中に対して真実になれなければ、世の中は、いつでも私たちを審判するでしょう。私たちが神様の前に真実になれなければ、決して神様と意味のある深い関係を結ぶことはできません。
「天和堂」P86〜P88

lotusbud / suchitra prints(Away for a few days)
”どれほど真であることを修練し、具体化させているでしょうか。私たちの人生にどれほどの真があるでしょうか”
他人は要領よく生きて、人生をおうかしているように見えます。
しかし、見えているだけで、実際はどうなのかは、本人だけが知っています。
誰もが、人と人とのつながりや、心の結びつきを求めていると思います。
”真”は、私たちの道しるべを表しています。
”本当の”姿となって、神様と深く連結されるようになっていきたいです。
今までは、方法と、方向性がわからず、四苦八苦していたにちがいありません。
神様を知ってからは、どれだけ開放され、自由になれるのか、考えて見たことはありますか?
少しでも私を造った神様をもっとよく知るならば、深みのある人生になると思います。
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