2009年08月07日

心の”麻酔剤”(2)

自らを詳細に見つめてみれば、私たちも知らないうちに、このような幻想にはまり込んでいることを悟るようになるでしょう。
私たちは、「私は利己的な人間ではない」
「私こそ、真の苦労が何か知っている唯一の人間だ」
「私は悟りを得た完全な存在だ」と、
私たちは、このような幻想、心に麻酔をかける”漠然とした幻想”にお互いがとらわれています。サタンは、私たちが酔って自分中心な夢にはまり込むのを好むのです。

実際に人を殺したことはなくても、怒りの中で嫉妬する相手を殺したいと思っているかもしれません(おお、何と!)。彼らを憎み、彼らが失敗し、苦労することを願い、また私たちを受け入れないことがどれほど損なのかを見せてあげたいと思うのです。彼らが失敗すれば、自分が正しかったと心行くまであざ笑います。彼らが悲惨な状態で苦労する姿を見て、陰険な喜びを味わうのです。

人のお金を盗んでいないかもしれませんが、気が散っている時や人に見せようとして祈祷する時、自分自身からエネルギーと時間をどろぼうしているのです。

このようなことは、すべて邪悪の飲料であり、酒であり、麻薬です。悪魔が私たちにそれを与える理由は、それらがとても微妙で内的なものなので、見えないばかりではなく、監視網にも引っかからないからです。私たちは時としてそれらに酔っており、麻酔をかけられています。
そうではないですか。

私たちが病気にかかれば、その病気を治すために痛む部分を調べてみなければなりません。隠れたり、鏡の正面に対するのではなく、後ろに隠れたりして真実の自らを見ることができなければ、何の役にも立ちません。もし自らの前に、または他の人と神様の前に真実に行動しなければ、それは、アダムとエバが裸であることを恥ずかしく思って体を覆ったように、私たち自身の恥ずかしさを無花果の木の葉で隠し、森の中に隠れるのと同じです。

私たちがこのような、”麻酔剤”に依存していたことを悟るならば、今から、神様との真実で深い霊的関係を妨害している習慣や病的な心理状態などに関して語ることができるようになります。そして、それ以上偽りの人生を生きないようになれば、大きな開放感と自由を味わうようになるのです。私たちは、真理であられる神様と私たちの真の本姓に対して、真実で真なる存在になるのです。
「天和堂」P60〜P62


Baby needs medicine / BookMama

顔で笑って、心では、泣いていたり、怒鳴っていたり、愚痴をたくさん言っていたり・・・etc.
知らず知らずのうちに、誰もがしてしまうこと。
日本人は、外国の方と比べると、非常に顔の表情と心の中が違っていたり、何を考えているのかわからないと言われます。

思いの世界は、何を言っても自由!なんて思っているから、言ってしまうし、言ってもいいでしょう。なんて言う方もいるかもしれません。
本当に自由でしょうか?
自己中心的な事ばかり言う。もっと、自由なら、いろんな発想があっていいと思います。が、全部と言って良いほど、自分本位なことばかりならべます。

逆に、不自由になっていると思います。
正に、麻薬で言わされているかのように。
逆に言えば、麻薬を飲まなければ、本来の、本当の自分になれると言うことです。

この麻薬にとっぷり酔ってしまうのではなく、本当に謙遜、謙虚になりたいです。
・・・そう、言いながらも、どこか、自分は違うんだと、利己的ではないと主張しているみたいな感じになってしまいます^^;

謙虚に、自分を飾るのではなく、素直な自分になって、神様の前にどうどうと出て行ける者に成っていきたいです。

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ラベル:幻想 麻酔 天和道
posted by はっぴー at 01:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 天和堂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ずっと、自分自身と戦っていました。
とても意識している問題でした。
私は私の悪魔が、
「嫌いな人から先に声をかけ、断られて相手が不幸になっていくのを見て楽しんでいる。」
と感じるのです。
その人の時を待つのでもなく、自分の成長を急ぐのでもなく、悪魔に私の嫌いな人を売り渡しているような、そんな、気がするのです。
でも、最近、少し、違ってきました。
伝道ができないのは、
「私が愛していないからだ」とわかり始めました。

愛している子供達には必死で泣きながら訴えかける自分がいます。私が他の人をも子供達と同じく、愛していれば、どんなに断られても、その後、傍観して、「やっぱりね、そうなる前に神様は声をかけてくれているのに」などとは決して思わない。不幸があれば心が痛みます。
神様は愛のない私に少しずつ愛を下さっていると感じ感謝しています。

「統一教会の本を読む」で、毎回、素晴らしいみ言葉を読ませていただいています、ありがとうございます。
Posted by ruitoako at 2009年08月07日 09:00
考えさせられる記事です。改めて、私自身が知らず知らずのうちに自己中心的になっていたことに気がつかされます。
それから、サイドバー充実しましたね。記事ランキングに、更新順のブックマーク。はっぴーさんの向上心には、敬服いたします。これからも応援してまいります。
Posted by ペンギンパパ at 2009年08月07日 13:52
ruitoako さん、コメントありがとうございます。

私も伝道は本当に苦手です^^;
どう努力してもダメだ・・・力尽き果てた・・・。
なんて日も、たたありました。

今思えば、言葉や、やり方ではなく、どれだけ相手のことを親身になり、心配してあげ、愛していたのか、正に、ruitoakoさんの言われている通りだったなと思います。

自分の子供ならどうなのか。
やっぱり、一度や二度ではあきらめないと思います。
それだけ、相手を真剣に思っていたのか、どうか。

なかなか人を愛するのって簡単ではないですよね。
純粋に愛すること。見返りを求めない愛。

でも、ruitoakoさんは、とても素直な方だなと感じました。
私も、意地をはらずに、素直な、裸な自分になっていきたいです。

ブログも、自分の栄光のためにしていては、長く続かないものだと思っています。
これからも、いつも初心にもどり、謙虚になって毎日書いていこうと思います!
Posted by はっぴー at 2009年08月07日 17:45
ペンギンパパ さん、ありがとうございます!

サイドバー、気付いてくださいましたか^^
基本的にこういうことをするのがとても大好きなので、はまりまくってまず^^;

サイドバー以上に本文ももっと充実させてまいります。
これからも頑張ります!!

Posted by はっぴー at 2009年08月07日 17:49
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