2009年06月03日

【神様は二性性相の中和的主体】

統一教会の原理は、神様は無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃる方だと言います。
二性性相であられる神様自身の分性的実体としてアダムとエバを造り、彼らが成長して愛を中心として横的に連結されるとき、縦的な立場で中心になろうとされたのです。
それは何のことかと言えば、アダムとエバが成長すれば神様の男性性相はアダムの心の中に、神様の女性性相はエバの心の中に入っていくと言うことです。
だからといって神様が分かれるのではありません。
そのような二性性相の主体としていらっしゃる神様なので、アダムとエバの心の中に臨在することができるというのです。

「真の神様」P21

人間が神様の様な業がなせる瞬間って、子供が生まれる時だと私は思います。
夫婦が一つになって初めて生まれてくる命ですよね。
神様の半分と半分が合わさって初めて新しい命が宿る。
とても神秘的で、神聖な場所だと思います。

その時は神様が縦的に降りて下さって、私たちは祝福されるのだと思います。
ですから、不倫なんてもってのほか。
一番大事な神様が宿るところを汚すのと同じです。

「純潔を守る」

一番大切なこと。
一番神様が喜ばれることだと思います。


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posted by はっぴー at 00:15| Comment(9) | TrackBack(0) | 真の神様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
正統を自認するキリスト教から異端とされている統一協会の協会員のブログがこのように朗らかで穏やかなものであることに少々驚いています。異端に対して私たちクリスチャンは少なからずの誤解があったことを反省します。
いくつか質問なのですがよろしいでしょうか。出来れば答えてください。
まず縦的立場というものがよくわかりません。神様は私たちの創造主であり救い主であります。これは縦的立場とみなしてもいいかもしれません。ですがそれ以外にも神は私たちの友人であったり最も身近な存在、身近と言うより私たちの中に、もしくは神の中に私たちがいるのだと思っています。この場合は縦的立場ではなく横的繋がりという風に解釈することができると思います。
私が言及したいのは縦的立場とか横的繋がりという名称ではありません。縦的立場というような言葉で神様の役割や属性、存在などを制限してしまっているのではないだろうか、と思うのです。神様はもっと大きく広い方だと私は思うのです。
私はあまりに統一協会に不勉強である為どのような信仰を抱いておられるのかわかっていません。私が統一協会を知る為にできればお答えくだされば幸いです。長文失礼しました。
Posted by もんぶらん at 2009年06月03日 12:00
もんぶらんさんの回答になるかわかりませんが・・・。

確かに、私たち統一教会では、神学的用語で縦的(父母)という表現で神様をお呼びします。
しかし、呼び方はともあれ、神様は、あきらかに存在し、私たち全人類を愛していらっしゃることは、基督教の統一した見解ではないかと思います。
重要なことは、神様を父と呼ぶ基督教において、神様は私たちの親であり、
私たちは、神様を中心として、兄弟姉妹であるという事ではないでしょうか。
ですから、統一教会では、「神様の下(もと)の、人類一家族理想」を掲げています。

私も、篤実な信仰者とは言えない者ですので、参考になるコメントとは思いませんが、
ただひとつ、言えることは、私自身にとって、「神様の事を正しく(正確に)深く教えてくださった教会である。」とだけは言えます。
“神様の下の、人類一家族理想世界実現”の為、これからも、精進していきたいと思っています。

この教会は、少なからず、思想や、解釈の違いで多くの誤解がある教会ですので、偏見や誤解が多いと思います。
私自身、私より先に家族の誰かが先にこの教会に入ったとすれば、真っ先に反対するであろうと思いますから・・・。
しかし、その思想や解釈の違いは、あまり重要ではないと思います。
そのことゆえに、お互いに理解を深められないのであれば、悲しいことだと思います。
強調して、神の国建設のために手を取り合うべき兄弟姉妹間に分裂があって、利益を得るのは、一部の思想家とサタンでしかないと思うからです。

できることなら、相互理解のもと、「神様の下(もと)の、人類一家族理想」実現の為に手を取り合って行きたいものだと、私は考えています。

参考になったかどうか・・・・。
感じたままに、書いてみました。
神様が愛する兄弟姉妹として、天の父の祝福が多くあることをお祈りいたします。
Posted by s-haneishi at 2009年06月03日 16:51
もんぶらんさん、コメントありがとうございます!
そして、統一教会に関心をもっていただき、うれしいです。
とても謙虚で、素晴らしい人格の方と感じます。
私も丁寧に返事を書かなくてはと思います。

統一教会では神様の愛を「父母の愛」「夫婦の愛」「兄弟姉妹の愛」「子女の愛」と説明しています。
どこにでも神様はいらっしゃいます。

お父さんは、自分の息子にたいして、時として友達の関係にもなれますが、息子が自分の父親の父にはなれません。まして、友達が自分の父になることもできないと思います。
自分の娘を抱きしめることはほほえましい光景ですが、隣の家の娘を抱きしめると、犯罪になる可能性もあります。
統一教会では、神様と人類の関係は親子関係です。
神様は友達にもなりえます。しかし、神様の本質は私の友達ではなく、私の親です。
「縦的」とは制限しているのではなく、事実、秩序、価値のことを言っています。
神様と人間が縦的関係にあるということは、ものすごく近しい関係にあるということになり、すばらしい価値なのだと思います。

私の説明でなんとなくご理解していただけたでしょうか?

キリスト教の方々は、神様に孝行する先輩だと思っています。統一教会は弟分と私はかってに思っていますが^^神様に親孝行をする兄弟として共に歩み寄れたらと思っています!
Posted by はっぴー at 2009年06月03日 17:43
s-haneishiさん、はっぴーさん、私の質問に答えてくださりありがとうございます。お二人のコメントをどちらも三回以上読み繰り返して十分に咀嚼して理解したつもりです。私の住むところが田舎であまり統一協会の方を見かけないのでこのように意思疎通の機会を設けることができることが貴重で嬉しく思っています。

まず、s-haneishiさんのコメントに感謝してレスポンスしたいと思います。

統一協会では神を縦的と表現する、と仰っておられますが、私個人(あくまで私個人でありキリスト教全体の考えではありません)の思いとしては、神様は縦的という位置づけだけではあまりにもったいない御方であると思います。
神は聖書中で友人として幾人かの預言者を指名しています。たとえばイザヤ書で「わたしの愛する友アブラハムの末よ。(41・8)」と書かれていることからアブラハムが神に友だと認められていることがわかると思います。
私は全く統一協会の考えに同意できないと主張しているのではありません。むしろ現段階において賛同できる部分が多くあります。
件の「神様の下の、人類一家族理想世界実現」ということに関しては個人的に非常に惹かれるものがあります。
しかし、私は神様は父という性質だけでなく友という性質もあることから、「神様を通しての、人類皆友人理想世界実現」もまた可能であると私は思うのです。
というより、そもそも神様が私たちを創造した事は("クリスチャンにとっての"という限定的なものでなく)真理であると私は考えていますので、クリスチャン、クリスチャンでない人に限らず、もはや人類が皆神様を通しての家族であると私個人は考えています。今は日本においてあまりに神様の存在を信じる人が少ないのでそう呼びませんが心の中では全く初めて会う人だって私は兄弟姉妹だと思って接しているつもりです。
できればs-haneishiさんの、あるいは統一協会の「神様の下の、人類一家族理想世界実現」とは何を以って完了するのかを教えてください。
返信に感謝します。私もs-haneishiさんと相互理解が出来ることを祈ります。

次にはっぴーさんのコメントに感謝と共にレスポンスします。

>統一教会では神様の愛を「父母の愛」「夫婦の愛」「兄弟姉妹の愛」「子女の愛」と説明しています。
>どこにでも神様はいらっしゃいます。
と仰られましたが、大変申し訳ありませんが少し意図が理解できませんでした。神様は私たちに父母の愛や夫婦の愛などを送ってくださっている、という意味なのか、あるいは父母の愛や夫婦の愛などの中には神様の愛があるという意味なのかわかりませんでした。つまり神が人間を愛する際に父母の愛などに似た愛し方をされるのか、それとも数ある愛情の中で上記の四つの愛を神様は祝福しているということなのか、ということです。これはあまり私の前のコメントでの質問とはリンクしない事柄ですが、よくわからなくて気になってしまったのでできればお答えくだされば幸いです。

はっぴーさんは神様の本質は私たちの親であることだ、と主張されますが、言葉を選ばずに言ってしまいますが(憤慨されてしまったら大変申し訳ありません)神様の本質だとか存在価値だとかを人間が定めてしまうことは人間の驕りなのではないでしょうか。聖書において数々の表現を用いて神様は形容されています。神は悪からの救世主であり、愛であり、創造主(父)であり、友人であり、全知全能であったりします。それを神様から見てずっと思慮浅い私たちが「神の本質は父である!」と決め付けてしまうことこそ神を信じる者が最も避けるべき傲慢であり柔和さに欠いた行いではないでしょうか。つまり自分たちにとって都合のいい神を想定してしまう、ということに繋がると私は危惧してしまうのです。
大変に失礼なことを言っていると思います。統一協会の教理や教義を否定したいわけではありません。はっぴーさんのコメントからそのように私が読み取ってしまっただけなのかもしれません。ですがクリスチャンにとって神とは自らの命と同じ、あるいはそれ以上にずっと重いものです。できれば私の見解について誤解や反論がありましたら是非是正してください。お願いします。

私は統一協会の方たちとネット上ではありますが、知る機会を設けることができて大変嬉しく思います。私はずっと統一協会を協の字を用いて表記してきましたが、それは異端だとみなされているから統一教会ではなく統一協会とした為です。もしも統一協会という表記が蔑称にあたると思われるのでしたら私個人としてはこれからコメントする際は統一教会と表記したいと思います。
最後にお二人はキリスト教をどのように思われているのでしょうか。私はエホバの証人を研究していますが彼らはキリスト教の神を自分たちのエホバ神とは全く違う邪教の神、即ちサタンだとしています。ですがお二人のコメントからはエホバの証人のように私たちを忌み嫌っているような印象はありません。その辺りもお答えくだされば大変嬉しいです。

長文失礼しました。
Posted by もんぶらん at 2009年06月03日 23:53
もんぶらんさん、本当にありがとうございます。
私の説明不足や、信仰者としての、未熟さが、でてしまっていると思います。ごめんなさい。

神様が親としたのは、第一原因であるところからきています。まさに創造主。
しかし、親、だけに留まらず、父母の間にも夫婦の間にも、兄弟間にも、子女にもそれぞれ神様が臨在し、それぞれの愛し方があり、神様を中心としているからこそ、愛し合えると言う意味です。それは隣人愛にもつながると思います。
神様が親としてあってこその”私”の価値が生まれると言うことで、神様の価値を位置付けているものではありません。

幼い子供が親に接する態度と、成人した子供が親に対する態度は違うと思います。
そして愛の返し方も違うと思います。
子供は甘えること、時には反抗したりして安心し、親を独り占めしたいと思ったりします。
でも、ある程度成長した子供なら、例えば、テストで良い点数を取る事かもしれませんし、家のお手伝いをすることかもしれません。
大人になれば、親の苦労を共に共有し、慰めようとする事もあるでしょう。

こうしてみる時、”私”が、存在するのは、神ゆえであり、神様が親だからこそ、自分の存在価値が輝き、意味あるものと感じていけれるのではないかと思います。

他人ではない、一番大切な親。”親”って、最高の存在だと私は思います。

切っても切れないつながり。
血縁関係です。
私がたとえ、神様なんて要らないなんて言ったとしても、消せない関係です。

代わりの友達が居たとしても、代わりのペットがいたとしても、親はたった一人。
私は子供が2人いますが、この子がそれぞれ結婚してはなればなれになったとしても、私が親という事実は消えないし、どこに行ったとしても親子の関係は崩れません。
子供にお母さんと言われる事は、最高の喜びです。
私は、決して神様を侮辱してしまっているとは思えません。

もんぶらんさんの質問の答えになっているでしょうか?
統一教会の教えは、統一原理と言いますが、奥が深く、理論的に体系的に説明され、頭の悪い私にとって、これを理解するのは至難の業^^
感覚的に理解はするものの、説明となると、本当に苦手になってしまうところもあります。

もんぶらんさんは、本当に神様を愛され、そして、研究されてこられた方と思います。
私なんてまだまだです。

統一原理では、キリスト教の事も勉強しますが、まだまだわかっていないと思います。
私こそ、キリスト教の事をもっと知りたいです。

実は、子供の頃から、キリスト教の信者になるのをあこがれていました。
ほんとに、たまたま統一教会に来てしまった。
が、一番あっているかもしれません。

もんぶらんさんといろいろ交流をもてたことは、とてもうれしいし、光栄です。
また、不思議なところや理解できないところがあれば、また気兼ねなく質問書いてください。

Posted by はっぴー at 2009年06月04日 01:49
もんぶらんさん、
私もあなたとこのようなかたちで知り合えた事を大変うれしく思います。
とても誠実な人柄が、文面からうかがい知ることができます。
もんぶらんさんが、本当に神様を身近に感じていらっしゃることが良く分かります。
私のような、気まぐれのレスポンスが余りに恐縮に思われてなりません。
私の性格(感覚的な人間)もあるので、お赦しいただければと思います。

そうですね、先回私の文面では、確かにもんぶらんさんの質問に対しての答えになっていないかもしれませんね。
私たちの使う縦的という言葉が、もんぶらんさんの感じていらっしゃる「友」ということを否定しているのではないのです。
神様を「友」観点で見つめることもとても大切なことと私も思います。
私たちの教会で、縦的という言葉は各位性を表現する時に使う言葉です。
神様の途方もないほど、多くの属性を縦的とのみ限定したものではないのです。
その一部分、神様の各位性に限定した表現と理解して頂ければ、いいのではないでしょうか。
序列といえば近いかもしれません。
これは、イエス様が、「わが父よ」と、親しく語りかける(祈られる)内容に近いものだと思います。
統一教会は、韓国で発祥した為、韓国の伝統的な考え方が多く盛り込まれています。
この為かもしれません。
昔の日本もそうですが、韓国は特に、序列を重んじます。
目上の方への敬意を決して忘れません。
そして、それ以上に目上の方は、とても下のものを愛します。
これは私が、韓国の方と接する機会に恵まれたからかもしれませんが、
本当によく(おせっかいなくらい)愛してくださるのです。
これを言葉で表現すると、縦的となるのだと思います。
(今日の韓流ブームも、このような熱い情熱に、多くの人が惹かれているのではないでしょうか。)
この延長線で、神様を縦的と表現することがあるのだと思います。
これは、神様を親として尊敬することの重要性を説くときに用いられる言葉だと、私なりに理解しています。
私もそうですが、今の日本ではあまりなじみがないからかもしれませんが、ちょっと、冷たいイメージがありますよね。
もんぶらんさんは、きっとそのことを、感じられたのかなーと勝手に解釈しています。
(間違っていたらすみません。大変恐縮です・・・。)
統一教会では、非常に体系化された、統一原理というものがあります。
この内容は、非常に深く、とても哲学的に書かれています。
ですから、とても表現が硬くなります。
しかし、これは正確に表現しようとするが故のものです。
このため、私は統一原理の本を読んでいると分からなくなって、眠くなってしまう事も多いのです。
(なにしろ、篤実な信徒ではないので・・・。)(冷汗)
でも、その同じ本が、あまりにも深い神様の心情を表現していることを理解した瞬間に、とても多くの涙が流れるのです。

説明が長くなりすぎましたが、
統一教会の用語は硬いことが多くて分かりにくいのですが、
それは、正確に伝える為の表現として理解していただけたらと思います。

シンプルに神様を身近に感じることができれば、無上の幸せです。
もんぶらんさんも、多くの神様の愛を感じられた方なんだな〜と勝手に信じています。
私たちの教会では、(現実は伴っていませんが・・・・)「生活の中で、常に神様を感じなさい。」と言われています。(ヒョエ〜)


そして、もんぶらんさんのもうひとつの関心点ですが、
「神様の下の、人類一家族理想」はさまざまなかたちで行われています。
私たちの教会では、超宗教・超国家という言葉をたびたび使います。
これは、本来神様に近づく為の宗教が、時としてお互いの考え方の違いにより衝突をしてしまうためです。
これは、同じ神様を信じる者として、あまりにも悲しい現実です。
神様ご自身、心を痛めておられるのではないでしょうか。
(日本ではあまりありませんが、海外では戦争の主要な原因にさえなっていますよね。)
これを是正する為に、私たちの教会では、「世界平和超宗教超国家連合」など(他 多数)、多くの宗教指導者、基督教はもちろん、仏教、イスラム教、ヒンドゥ教、儒教 他と、多くの国家指導者を招請して、世界平和についてのさまざまなの議会や大会を、ニューヨークの国連ビルをはじめ、世界各国、多くの都市で開催しています。
昨年、11月にも、東京の味の素スタジアムで、これら多くの宗教指導者・政治家を招請して、5万名の大会「グローバル ピース フェスティバル」を開催しました。

宗教者は、共通の願いとして世界平和を求めていると思います。
もちろん、このことは神様の大きな願いであることは言うまでもないでしょう。
私も、プロテスタント系の複数の牧師さんとお話をさせて頂きましたが、
基本的な考え方で多くの点で、矛盾はありませんでした。
先回も記しましたが、教派や考え方の違いで分裂してしまうことは、
私は好ましいこととは思えないのです。
むしろ、世界平和を本気で願う多くの方々と協調(先回 誤字でした)して行かれたら、世界平和の実現も近い将来可能であると感じています。
私と、私たちの教会の主張ですが、「神様を抜きにして、世界平和はありえない。」と確信しています。
ですから、そのためにも神様を正確に知り、神様の願いを肌で感じていくことができればと思っています。

あまりの長文に私自身あきれています。
(話し出すととまらないもので・・・・)
どこかの教会と同じで、正確に伝えようとした為とご理解いただけたらと思います。
(すんませ〜ん。)
今回も感じたままに書かせていただきました。
もんぶらんさんの誠実な信仰と、神様を身近に感じられる感性に敬意を表します。この信仰と感性を、これからも大切にして頂けたら、私も共にうれしく思います。
ご返事遅くなったこととあわせて、長くなったことをお詫び申し上げます。
今後も、神様の愛にもんぶらんさんがつつまれることを祈りつつ。
アーメン。
Posted by s-haneishi at 2009年06月04日 18:23
はっぴーさん、s-haneishiさん、コメントありがとうございます。一見すると私のコメントは統一協会に喧嘩を売っているような印象を与えているのではないかと少し書き込んだ後に不安でしたがお二人とも真摯な態度で私の質問に答えてくださり大変光栄に思っています。

前回ははっぴーさん、s-haneishiさんお一人ずつに個別に返信しましたが今回はどちらものコメントを併せてコメントしたいと思います。お二人のコメントがお互いを補い合っている感じがするのです。

お二人のコメントを読ませていただき感じ取ったのは、別に神様を縦的存在だと限定しているわけではないということです。
ですが、私としてはやはり父でもあり友でもあり他にもたくさんの様々な働きをされる神様のたった一面である父という部分だけを最高に重要視して、他の所をないがしろにしているのではないかと思ってしまいます。それは個人が信仰する際は構わないかもしれません。私自身、愛唱聖句が「神は愛です」なので神が愛であるという側面を重要視してしまいます。ですが、統一協会という教派全体で縦的存在である、父なる神を重要視しすぎるのはあまりよろしいことではないのではないでしょうか。個人的にはそう思います。
つまり、個人として縦的存在を重要視(あくまで重要視であり、以前のお二人のコメントから神を縦的存在だと限定しているわけではないと言うことは理解しました)するのは個人の信仰として構わないが、統一協会という団体が神は縦的存在であることのみを重要視してしまうのは良くないのではないだろうかと現在は思っています。できればこの点についてお答えください。

また、統一原理というものに関してですが、それが書かれているのが『真の神様』という書籍なのでしょうか。

私は常々自分の意見と他者の意見、そして聖書の意見(御言葉)を同じ重さでそれぞれ考慮して暮らしていこうと思っています(このような考えのクリスチャンはあまりいないと思いますが)。
聖書の意見だけを絶対化して聖書を読むと、きっとその人は律法主義的、福音主義的になってしまうと思います。あるいは牧師の意見を盲目的に信じてしまうならばそれはキリスト教ではなくその牧師の宗教になってしまいます。自分の意見だけに従って生きる人は本能のままに生きる動物と同じです。
私としてはどうかその統一原理というある種の意見をただただ絶対視していないか、本当に自らが咀嚼して理解できているか、そしてそれが真理であり社会に適っているかを吟味していただきたいと思います。どうか信仰者として自分の意見を忘れないで欲しいと思うのです。

s-haneishiさんが答えてくださった「神様の下の、人類一家族理想世界実現」に関しては非常に興味深いものがありますが、残念なことに私の質問に厳密な意味でお答えくださっていません。
私は理想の実現のために何をしているのかを聞いているのではなく、何を以って理想が実現完了とされるのかを聞いているのです。できればお答えくだされば嬉しいです。
私的な話ですが私としては教派の違いや解釈、考えの違いはあって当然だと思っています。むしろそれを小さいことだと思ってはいけないと思います。
私はバプテスト派クリスチャンです。そしてバプテスト派が大変気に入っています。福音派教会のような聖書無謬説やアッセンブリー派のような異言を私には合わないと思っています。言ってしまえばそのような教会に礼拝に行くことは私にとって苦痛です。私にはこのような教派の違いはとても大きいです。
戦争の理由になっていると仰いますが、それは非常に悲しいことですが、彼らが相手の教派を非難すると言う絶対にやってはいけないことをしてしまっているから起きてしまった不幸だとしか思えません。私はそれぞれの教派や違う宗教を非難しません。現に私は統一協会は異端だから統一協会に神はいない、サタンに支配されているとコメントしたりそれを文面から匂わせているでしょうか。その点に関しては絶対にそのようなことがないように私は気を遣っているつもりです。
大切なのは相手と自分の違いを認めること、裁かないことであり、宗教を統一することや教派や解釈の差を無視することではないと私個人としては考えています。この考えは統一協会の考えと真っ向から衝突するものだと思いますので、できればお二人の意見を伺いたいと思います。

今回も長くなってしまいました。しかも話は少しずつ「縦的」という話から離れていってしまっているかもしれません。大変申し訳ありません。
私は教派分類学といいましょうか、このような話が大変好物でして非常に熱くなってしまいます。
また、この記事のエントリーが縦に相当長くなってしまっていることも申し訳ありません。
私の質問に答えてくださったら嬉しいです。迷惑でなければまたコメントさせてください。
Posted by もんぶらん at 2009年06月05日 17:58
はっぴーさん、s-haneishiさん、コメントありがとうございます。一見すると私のコメントは統一協会に喧嘩を売っているような印象を与えているのではないかと少し書き込んだ後に不安でしたがお二人とも真摯な態度で私の質問に答えてくださり大変光栄に思っています。

前回ははっぴーさん、s-haneishiさんお一人ずつに個別に返信しましたが今回はどちらものコメントを併せてコメントしたいと思います。お二人のコメントがお互いを補い合っている感じがするのです。

お二人のコメントを読ませていただき感じ取ったのは、別に神様を縦的存在だと限定しているわけではないということです。
ですが、私としてはやはり父でもあり友でもあり他にもたくさんの様々な働きをされる神様のたった一面である父という部分だけを最高に重要視して、他の所をないがしろにしているのではないかと思ってしまいます。それは個人が信仰する際は構わないかもしれません。私自身、愛唱聖句が「神は愛です」なので神が愛であるという側面を重要視してしまいます。ですが、統一協会という教派全体で縦的存在である、父なる神を重要視しすぎるのはあまりよろしいことではないのではないでしょうか。個人的にはそう思います。
つまり、個人として縦的存在を重要視(あくまで重要視であり、以前のお二人のコメントから神を縦的存在だと限定しているわけではないと言うことは理解しました)するのは個人の信仰として構わないが、統一協会という団体が神は縦的存在であることのみを重要視してしまうのは良くないのではないだろうかと現在は思っています。できればこの点についてお答えください。

また、統一原理というものに関してですが、それが書かれているのが『真の神様』という書籍なのでしょうか。

私は常々自分の意見と他者の意見、そして聖書の意見(御言葉)を同じ重さでそれぞれ考慮して暮らしていこうと思っています(このような考えのクリスチャンはあまりいないと思いますが)。
聖書の意見だけを絶対化して聖書を読むと、きっとその人は律法主義的、福音主義的になってしまうと思います。あるいは牧師の意見を盲目的に信じてしまうならばそれはキリスト教ではなくその牧師の宗教になってしまいます。自分の意見だけに従って生きる人は本能のままに生きる動物と同じです。
私としてはどうかその統一原理というある種の意見をただただ絶対視していないか、本当に自らが咀嚼して理解できているか、そしてそれが真理であり社会に適っているかを吟味していただきたいと思います。どうか信仰者として自分の意見を忘れないで欲しいと思うのです。

s-haneishiさんが答えてくださった「神様の下の、人類一家族理想世界実現」に関しては非常に興味深いものがありますが、残念なことに私の質問に厳密な意味でお答えくださっていません。
私は理想の実現のために何をしているのかを聞いているのではなく、何を以って理想が実現完了とされるのかを聞いているのです。できればお答えくだされば嬉しいです。
私的な話ですが私としては教派の違いや解釈、考えの違いはあって当然だと思っています。むしろそれを小さいことだと思ってはいけないと思います。
私はバプテスト派クリスチャンです。そしてバプテスト派が大変気に入っています。福音派教会のような聖書無謬説やアッセンブリー派のような異言を私には合わないと思っています。言ってしまえばそのような教会に礼拝に行くことは私にとって苦痛です。私にはこのような教派の違いはとても大きいです。
戦争の理由になっていると仰いますが、それは非常に悲しいことですが、彼らが相手の教派を非難すると言う絶対にやってはいけないことをしてしまっているから起きてしまった不幸だとしか思えません。私はそれぞれの教派や違う宗教を非難しません。現に私は統一協会は異端だから統一協会に神はいない、サタンに支配されているとコメントしたりそれを文面から匂わせているでしょうか。その点に関しては絶対にそのようなことがないように私は気を遣っているつもりです。
大切なのは相手と自分の違いを認めること、裁かないことであり、宗教を統一することや教派や解釈の差を無視することではないと私個人としては考えています。この考えは統一協会の考えと真っ向から衝突するものだと思いますので、できればお二人の意見を伺いたいと思います。

今回も長くなってしまいました。しかも話は少しずつ「縦的」という話から離れていってしまっているかもしれません。大変申し訳ありません。
私は教派分類学といいましょうか、このような話が大変好物でして非常に熱くなってしまいます。
また、この記事のエントリーが縦に相当長くなってしまっていることも申し訳ありません。
私の質問に答えてくださったら嬉しいです。迷惑でなければまたコメントさせてください。
Posted by もんぶらん at 2009年06月05日 18:02
もんぶらんさんありがとうございます。
信仰者としての姿勢、見習うところはたくさんあるなと思いました。
他の宗教を全て知っているわけではないので、やはり、統一教会の教えに傾いてしまいますよね。
私ももんぶらんさんのように、広い視野で、いろいろと考えていこうと思います。
私も、他宗教を否定しているわけではありません。
少しでも、誤解の多い統一教会の事を知ってほしくて、ブログをはじめました。
また、アドバイスいただけるとうれしいです。

統一原理は、「原理講論」という本に、書かれています。
その本だけだと、あまりにも難しく、生活の中で生かすのには、あまりにもハードルが高いので、噛み砕いて解説されている本の一冊が、「真の神様」です。
他にも、「統一思想」や「真の家庭」「真の愛」等等、あります。

ブログで紹介をのせましたので、ごらんになってくださればと思います。

私も、これからはもっとわかりやすく、意識してブログを書こうと思います。
また、ご意見、ご質問、よろしくお願いします。
Posted by はっぴー at 2009年06月06日 16:33
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