しかし、これは、知的な面を通して学ぶものではありません。理由は簡単です。これは、所有できる知識ではないからです。代わりにこれは、必ず成されなければならない概念です。それも一度や二度で終わるのではない、継続しなければなりません。
内的な平和と外的な平和は、分離されているのではなく、お互いに連結し合って離すことができません。私たちは、平和を選択する力がなければならないのです。
いつだったか、私は、お父様に最も貴重な漢字を教えてくださるようにお願いしました。私は、この字が、統一教会員の姿と生活の中心にならなければならないと思います。有り難いことに、お父様は、数十万個の文字の中から一つの文字を下さったのですが、それは”愛”でも、”献身”でも、”服従”でもない「誠」でした。この文字には、”言”という意味と”成”という意味が複合しています。簡単に言えば、私たちは、必ず「言ったことを成し遂げなければならない」ということです。
平和と愛について言葉だけを語るのは意味がなく、自分自身が平和を成し遂げ、神様の愛を表さなければなりません。完全にそのようになることが本質なのです。そうなれば、平和や神様の愛を求めていく必要がなくなるのですが、それは、既にここにあるからです。私たちの中で明白になり、したがって世界の中で実質的に現れるようになります。これが統一教会員として心と体の統一が絶対的に必要な理由です。
「天和堂」P94〜P95

Vintage Belleek Porcelain Openweave Basket / Le Petit Poulailler
そういえば、昨日の記事で書けばよかったのですが、昔、手塚治虫の本で、「ブッダ」を読んだときに、似たような話があったのを思い出しました。
若き日のブッダ(シッダルダ?でしたっけ?)が、修行をするのに、座禅を組んで、瞑想に入ります。無になるべくして目を閉じるのですが、次から次へといろんな思いがわいてきます。なかなか”無”になれず、苦労している姿を思い出します。
仏教のことはよくわかりませんが、同じように感じている世界は共通なのだなと感じました。
えらいお坊さんも、同じように修養なさっているのだと思いました。
ですからなおさら、私のような一般市民は、極々普通の主婦は、もっとも〜っとがんばらねば、心と体の一体化なんて、難しいと思います。
しかし、できないことは示されません。
やって、簡単すぎることは、修練になりません。
一生かかってでも、最後に心と体が統一されたとしたなら、人生、大成功したのと同じなのではないかと感じます。
統一教会の「統一」は、まさに、ここ!
心と体の統一から始まるのだと思います。
そこから、文化の統一、宗教の統一、人種、国、・・・・・いろんな統一へと大きくなって、人類、世界、宇宙、神様と、一体になる。
それが、世界平和への一歩となるのだと感じました。
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