2009年08月05日

沈黙から学ぶこと

真のお父様がみ言を語られるたびに、心と体の統一の重要性を強調されることを知っているでしょう。なぜですか。心と体が分かれているということは、結局、世界が分かれているということです。なぜかというと、心と体が分裂した個々人が集まって分裂した家庭、分裂した社会、国家、世界をつくるからです。このすべてのものを見ていらっしゃる神様は、どれほど悲痛でいらっしゃるでしょうか!

私たちが自分ばかりを中心として生きようとしているとすれば、それは心と体が統一されていないからです。心身統一の訓練をしなかったということです。それは、私たちがまだ幼児的で分別がついていないという明白なサインです。私たちは、修練を通してある成熟した姿に出会うようになります。

私たちは、最も根本的な源泉、すなわち途切れることのないエネルギーと霊感、そして平和の源泉であられる神様と個々人的な関係を結び始めることができます。

そのエネルギーは、神様と真の父母様との個人的な関係から求めることができる安定感と、祈祷生活と深い瞑想の中から訪れるものであり、それは、私たちの貪欲を眠らせ、騒がしい心を静めることができるように助けてくれます。

心身統一の過程で私たちは、真のお父様が語られた平和を、ただ学ぶのではなく、実践することによって、お父様のみ言とより深い関係を結ぶようになります。そのようになれば、私たちがあたかも何もしていないかのように見える瞬間にも、神様と深い交感を分かち合えるようになるのです。

私たちは、習慣的に乗って往来し、耽溺していた思いの列車がなんだったのか、聞いて理解しなければないません。こうした過程が、神様から私たちを分離させたものが何だったのかを理解する第一歩なのです。

「天和堂」P54〜P56


My Little Earth / AlexWitherspoon

自分ばかりを中心として生きようとしているとすれば、私たちがまだ幼児的で分別がついていないという明白なサインです。

自分のことは、本当にわからないものです。
自分としては、立派な大人のつもり。
つもりでいるからです。
つもりは、つもりで、そうなっていないのですが、自分としては、立派な大人になっている気分でいます。

それを痛いほどわかるときは、相手が不愉快さを感じたり、指摘されたり、失敗をしてしまった時などで、なかなか自分で気づくのは、簡単ではないと思います。

自分では、痛い思いや、恥ずかしい思いをする瞬間ですが、その時こそ、悟れる瞬間でもあると思います。
でも、そこで、祈りや瞑想の土台がなければ、やはり、それでも気づけないことは、たくさんあるのではないかと思います。

祈り、瞑想は、その当時、当たり前のように神様とお話をしていた頃にもどること。堕落したのも、神様に尋ねることなく、自分中心に考えたことが原因なのですから、また再び、神様に委ねて生きることのできる、自分となっていければと思いました。

祈りはとても、良いものですが、なかなか祈れないものでもあります。
祈りをするための祈りもしなければ、祈れなかったりして^^:
とにかく、がんばって祈らなきゃ。
そこから、何事もはじまるんですね^^

★-------★--------★--------★--------★-------

*今日も読んでくださり、ありがとうございます!*
↓よろしければ応援クリックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ
にほんブログ村

★--------★--------★--------★--------★--------
posted by はっぴー at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 天和堂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。