2009年07月29日

心身統一

「宗教は、故障した人間を修理して現状に戻すための訓練所であり、修練教育所です。(中略)信仰を通じた教育と修養により、実生活の中で神様に侍り得る人格を養成することが宗教の使命なのです。(中略)教団が、伝道と宣教を通じて信仰の道への入門を強調する以上に、個々人を教育、修練し、人格完成を通じて生活信仰者として育成し、卒業させることを、より一層重要視しなければなりません。」
(「神の祖国と平和王国の成就のための摂理の道50年」より)

これは、どれほど宗教についての強力なみ言でしょうか!統一教会も、やはり例外ではありません。

今日、進行中のいわゆるニューエイジ(新世代)の霊的修養の問題点は、確かに自ら良いフィーリングをもったり、神様を感じたりはできるかもしれませんが、それを長時間維持したり、また再生産することが難しいというところにあります。

そのため、多くの場合、高い霊的な境地に心酔したあとにむなしさを感じ、自我に対する価値を喪失します。そして、再び高い霊的な境地に至ることを渇望しますが、到達することが難しくなると、人々は抑うつ症になったり、深刻な心理的異常を見せたり、その上自殺までするようになる、そのような傾向があります。ですから、心に関連する訓練を行うにおいては、より体系的で、よく整理された訓練方法を通じて行うことが必須です。

ここでは、既に皆さんが、殺人、窃盗、詐欺、姦淫、婚前交渉、麻薬中毒などをきちんと統制できる人であるということを前提としています。

このような基本的な道徳性を大切にするのは、霊的な理由だけでなく、実際的な理由があります。霊的には、道徳性こそ、神聖な存在との深い交感と省察が始まる出発点であり、現実的には、この道徳性は修養の予備段階として、心惑わす執着と偏見から私たちを自由にしてくれます。

宗教の伝統を研究する学徒として、私は、世界の主要な諸宗教、キリスト教、仏教、ユダヤ教、イスラーム、ヒンドゥー教、儒教、道教などが、より深い内的な霊的修練に入っていく前に、基本的な道徳的生活を遵守すべきことを明確にしているという、とても教訓的な事実を発見しました。

この本は、荒唐無稽で不健全、不道徳な生活をしていながら、霊的な訓練の成長を求めようとする人たちには、何の役にも立たないでしょう。
私を含め、誰でもこの原則から外れることはできません。

「天和堂」P23〜P27


Shiroyama shrine II / vitroids

私も統一教会に来たばかりの頃は、よく心情の上がり下がりがあったな〜なんて思い出します。
今は、それほど起伏ははげしくありませんが、高い霊的な境地に行くことも、あまりなくなってしまったような気がします・・・。

神体験は、忙しい日常の中にあっては、だんだんと埋もれていってしまう事は、多々あることです。
生活の中で、子供たちと接する中で、家事をしている中で、どこにでも神様は、感じることができるはず。
たくさん神様を感じていきたいです。

宗教は、弱い人間がするものだと、言われることもよくあることですが、殺人、窃盗、詐欺、姦淫、婚前交渉、麻薬中毒などをきちんと統制できる人。これは、自分に弱い人間ができるものではないと感じます。

道徳の基本中の基本ですが、フリーセックスの広まっているこの世の中で、純潔を守る難しさは、かなりの方が、分かる内容なのではないかと思います。

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posted by はっぴー at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 天和堂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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