2009年07月21日

完成の八段階

お父様はよく、完成の八段階の話しをされます。
私たちは普通、これを階段のように一つ一つの段階として考えがちです。だから、私たちは、「私は、まず最初に個人的段階をやって、それから家庭段階に移って、そして氏族、社会、国家から世界、天宙、そして神様に至る」というように言う傾向があります。

お父様が完成の八段階の図を書かれるのを見ると、決して階段のような描き方をされたことはありません。常に、それを何重にも重なる同心円として描かれます。このことは、何を教えてくれるのでしょうか。実は、円は一つしかないのです。

だから、私たちが個人として求める幸福は、究極的には私たちの家族に属する個人のすべてが求める、正にその幸福なのです。私たちが願うその平和は、ほかならぬ私たちの社会が、国家が、そして世界が願う、正にその平和なのです。私たちが慕い求めるその愛は、ほかならぬ神様が体験したかった、正にその愛なのです。

私たちは普通、方法手段と目的を分けて考えます。一方が他方をもたらすというように、二つの異なった存在として見ます。しかし、それは狭い理解です。私たちは内心で、「ようし、あと五段階だけ行けば平和に到達だ」、あるいは「幸福に到達だ」、「愛に到達だ」などと思ったりします。しかし、もしもこのような考え方をすると、平和は常に逃げていくことでしょう。

その各ステップにおいて私たちは、平和そのものに「成」らなければなりません。そうすれば、それを追いかける必要は、もはやありません。平和は既に、ここにあるからです。

精誠の「誠」の字を覚えていますか?⇒関連記事
「あなたの語る、その言葉の実体と成れ」でしたね。ですから、私たちが”平和”を語るならば、私たちが”平和の実体”に成らなければならないのであり、”愛”を語るならば、”愛の実体”に成らなければならないのです。そのほかも同様です。

正にこれこそが、お父様の特性を描写した、この深淵な文字のもたらす大いなる希望です。そして、この文字は、お父様自身が、最も重要で、私たちがその意味を理解しなければならない中心的な字だと、私に直接語られたものです。

私たちは、そこに、世界平和と調和を現実的に実現する可能性を見ることができます。

「はげ頭と苺」P139〜P141

「誠」の文字は、
聖地の山へ登って、もしも、神様の心情を感じ一文字で要約し、かつ具体化するとすれば、どのような文字になるだろうかと尋ね求め、最終的にお父様に尋ねられ、帰ってきた答えでした。
神様に対する、一つの基準となり、また、継続して神の世界に戻っていく契機となるような、そういう一文字を見つけたかったものです。

求めて求めて求める。これは、問題がありました。
そのものに、成る。
完成の八段階、各ステップに成っていく。
成る事自体が、とても難しいものですが、私の人生は、生きている意味は、人生の中で成し遂げていく内容は、正に、ここにあると思います。

漠然としていたものが、なんだか少しはっきりしてくると思います。
私の人生、何のために生きるのか。

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posted by はっぴー at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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