2009年07月20日

「他のために生きる」こと

お父様は、「教えの確信は、ほかでもない、他のために生き、あなたの真の自己を見出せということである」とおっしゃいました。

通常、私たちは、”真の自己”というものは自分の中にあると考えているために、自分を取り囲んでいる世界から自分を切り離して考えます。そうすると、私たち自身が独島のような存在になってしまうのです。 −世界の縮小体(小宇宙)でありながら、皮肉なことに世界から孤立してしまうのです。

これが残念なことに、自分自身に対する(”真の自己”を含めて)存在論の歴史的な認識のあり方でした。しかし、ちょっと180度の方向転換をしてみましょう。私たちの”真の自己”を他の中に見てみましょう。そうしたらどうなるでしょうか。さて、実は非常に驚くべきことが起こります。

そうすると、私たちが周りの世界から孤立しているのではなくて、実は共存の関係にあり、しかも責任があるということが分かってきます。そして、私たちが他を傷つける時には、自分自身を傷つけている −心の中にある毒や憎しみによって私の自己が傷つくー という事実が分かるようになり、この「責任がある」という言葉の意味を、個人としての責任の場合とおなじように理解できるようになります。
またそうすることにより、私たちは、もっといろいろつながっており、もっと多くの共通要素をもっていて、私たちは、結びつける連結性があることが分かるようになります。

私たちは、もはや世界を自分と別のものとしては見ず、自分に直結されたものと見るようになります。
だから、苦しむ世界を見る時に、それを自分と関係ないものと見ることはできず、自分の痛みとして、自分の飢えとして、自分の苦しみとして見るようになります −神様の苦しみさえも、私自信の苦しみとして。

これが、真の主人意識ということです。

他者のために生きるという”選択”をすることにより、本心の愛に由来する内的な強さによる自信を得ることができます。私たちは、自分の自由意志で他者に仕えることを”選択”しました。 ー弱さや無力感からではなく、強さという立場から、このような展望をもった時に、私たちは真実に、”他のために生きる”という生き方をすることができます。

「はげ頭と苺」p128〜135

ただたんに、”ために生きる”と、口では言ってみても、実際は、どうなのか。
やらねばならぬ。いやいやする。やれば、いいことあるだろう。
なんて思ってために生きようとしていなかったか・・・。
それはもちろん、続かないですよね^^;;;;

他の中に本当の自分がいると思えば、他人事にはできません。
食物や愛、そして命に飢えている子供たちに、私自信を観るのです。”私”こそが、その子供なのです!
自分のことのように、他の人々を同じように心配してあげ、世話してあげ、愛してあげる。

心から、それも極自然にできる時、本当の意味でために生きることができるんですね。

意識の仕方、考え方しだいで、今までの自分の人生が、まるで違う人生のようになってしまうなと感じました。
もちろん、良い方向にです。
自然とそう思える自分に成って生きたいと思いました。



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posted by はっぴー at 00:18| Comment(3) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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