2009年07月17日


池をじっと眺める時に、私が目から力を抜くと、広大な青空、涼しそうな家のひさしや、時々さえずりながら飛び交う鳥たちが、池の面に映って見えます。
私が単に水の表面だけでなく水の中にも意識を集中していくと、その下にある深淵な世界が目に入ってくるのです。
しかし、意識の集中を維持しなければなりません。というのは、もしもほんの一瞬でも私が気を抜けば、その下の世界は、たちまち消え去り、水面に映った幻影の世界が再び現れて、私の現実を支配してしまうからです。

正にこの一瞬の、正にこの悟りが、実際、私たちの存在の現実を、如実に反映しているということに気づきました。

私たちはこれらの見えるもの(私たちが力を抜いた観点で見ることのできるものー私たちが毎日の生活の中で出会うもの)こそが世界と宇宙全体(さらには神様も含めて)の現実であるというように、不可避的に信じるようになっていくのです。しかし、その下には実際、何があるのでしょうか。

このためらいがちな質問こそが、最も重要な質問なのです。実際の池の場合においても、水面の下に、藻に覆われた、滑りやすい斜面や、暗い、ぬれた、冷たい、そういう中で生活するということを、とても想像できないでしょう。水というのは恐ろしいもので、私たちがその中に入ると、あらゆる妨げがあります。

このことは、私たちが私たちの世界とか、私たちの宇宙とか、また私たちの神様と呼んでいるその池の現実においても当てはまります。

この水面下の世界、人間同胞たる兄弟の実態、天の父の実情、これらは恐ろしいものです。というのは、それを知ることにより、自分の幸せだけを求めていた昔を、直視せざるを得なくなるからです。

この陰気で暗い水の中にも、希望のきらめきがあります。もしも、私たちが恐れというものを支配し、それを正しく導くことを学べば、それを自分の仲間として利用することができます。私たちは、その恐れの思いを、いつものように逃げるために用いるのではなく、この苦しんでいる側の世界を抱擁し、愛し、そして”仕える”ための、勇気を駆り立てるために用いるのです。

「はげ頭と苺」P117〜P121

無知は時に恐ろしく思います。
知らないからといって、それでゆるされるものでもありません。
目をそむけているのは、逃げているだけで、何の解決もなされません。

世界平和を願うのなら、少なくとも、今の地球上の人々の生活を知る必要がありますし、そして、私たちと切っても切れない、神様のことも、知る必要があると思います。

日本は、本当に物質的には恵まれた国です。
この恵みは、自分達だけのものではなく、他へ分け与えるため(愛し、仕える)の恵みです。
神様から代表してあずかったものです。

家庭で言えば、ちょうど、お母さんのような立場だと言うと、しっくりいく表現だなと感じます。
自分だけたらふく食べて、腹をすかせた子供に分け与えない母親は、普通、どこにもいないと思います。
そして病気の子供がいたら、治るまで、ずっと看病をすると思います。

”私たちが恐れというものを支配し、それを正しく導くことを学ぶ”
恐れというもの
これは、死後の世界をさしているのかもしれませんし、あるいは、自分が知らずに犯してきた愛についてなどの問題かもしれません。
もしくは、神様を知らずに生きてきてしまったことだとか・・・。

正しく学ぶ。
それが、何よりもまず第一歩だと、感じました。

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posted by はっぴー at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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