2009年07月07日

そのドアの後ろには悪魔がいる

「霊的探究の道とは何ですか。霊的探究の道とは「自己改善」の道であり「自分を成長させる」あるいは「発展させる」道である。分かりますね」。
私がこう尋ねると、圧倒的に返ってくる答えはこうです。「もちろんそうです」。「間違いない」、「そのとおり」(少なくとも私がこの質問をした時は、ほとんど全員がそう答えました。)
ところが残念なことに、そのような考え方とその道は、皆さんが”悪魔”に近づいて行く道なのです。

どうしてその道が悪魔につながる道なのでしょうか。これは霊的探究の道ではなかったのでしょうか、自分がより改善されて、聖人のようになれる道だと思ったのですが。
実は、これこそが霊的探究の道に潜む、危険なわななのです。心、心情、感情、心理学、良心、霊等を扱う時というのは、非常に微妙なのです。ほんのわずかな無知、一つの誤解、一つの欠陥のある前提によって、自分も知らないうちに、とんでもない醜い場所に行ってしまうことになります。

これが正に、”悪魔”が神に対して見せた傲慢であり、プライドであり、思い上がりなのです(この問題は、様々な宗教の教えの中にも指摘されています)。

不幸なことにその道は、人をもっと自己中心にとならせ、自分のことだけに夢中にならせ、自分のことしか考えないようにしてしまうのです。

「はげ頭と苺」P80〜P82

私はよく、謙遜傲慢だと言われて来ました。
謙遜そうに振舞っているが、実は、心の中は傲慢だらけ・・・。

皆のようにできない。勝利できない。闘えない・・・。そういう思いが多ければ多いほど、苦しさから逃げようとしていたのだと思います。
そして、少し勝利するたびごとに、傲慢になる。傲慢になると、恐怖にさえ思っていた時もありました。

周りから傲慢と思われるのなら、極力目立たず、勝利せず・・・。
なんて浅はかな考えが巡って、それこそ、自分のプライドを傷つけられたくない事への裏返しだったと思います。

そんなパッとしない私でも、あきらめずに、何度も失敗してもさじを投げずに見守って下さった神様。
今はなんと家庭をもって、子供も二人も授かりました。
ありがとうございます!

当時の私を知っている兄弟姉妹に今の自分を知ったとしたら、たいそう驚きと神様を感じることでしょう^^

何を言われても、謙遜傲慢であっても、辞めなければ、いつかは変われるし、何かを勝利することもできるはず。
自信があって歩む道ではないと思います。
自分を否定されて、苦しい時もありますが、それは自分が一歩変われる瞬間でもありますよね。

統一教会も、いろいろ言われてしまいますが、今、何かを勝利できる時なのだと感じます。

サタンの血を受け継いでいる以上、しかたがないと言ってしまえば、仕方がないのですが、それで甘んじることなく、今、出来ることから、こつこつしていくことが、自分には、大切だと思っています。

主人から、私はよく、強いと言われてしまいます(^^;
自分では、弱いと思っているのですが・・。
守ってやりたいと思ってもらえるかわいい妻になりたいです(^o^)/

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posted by はっぴー at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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