2009年07月02日

毒の矢

怒りや恨みとかが起こってくるそれぞれの瞬間において、自分には”選択の余地があった”ということが分かりました。一方では、極度に失望し、怒るという選択もできたと同時に、もう一方では、そのことに影響されないようにするという選択もできたということです。自分自身が、自分の苦しみをつくり出していたのでした。
歴史的人物であるインドの仏陀の教えによると、その状態はちょうど、憎しみ、怒り、恨みという、”毒の矢”を射られた状態だというのです。

この矢は、自分の心の否定的で惨めな状態のことであり、私たちは常にそれをこの人のせい、あの人のせいだと責めたがり、あるいは、どれほど自分は腹を立てているかということを表現したがるのですが、その間、ずっと矢はそこに刺さったままなのです。
私たちは、自分がいかにその矢によって毒を受けているかと不平不満を言うことを”選択”するのであり、あるいは自分たちが、その矢がある結果として、どんなに駄目になり腐っているのかと不平不満を言うことを選択するのですが、その矢を取り除こうという”選択”をしないのです。こうして私は、自分が困難をうまく乗り越えることができないのは、自分自身の恨みと怒りに対する執着心のゆえであるということに気がついたのでした。

「はげ頭と苺」P55

他人の一言で、傷ついたり、怒りがこみ上げてきたり・・・だれでも一度や二度、あるのではないでしょうか。
問題は、その時に、腐ってしまうのか、その毒の矢を早く取り除こうとしようとするのか。

いつまでも、あの時こう言われた、ああ言われたと、憶えているかぎり、その事に縛られ、胸に毒の矢がささったままだと言うことになります。

そして、さらに、その毒の矢が刺さらないようにも出来たかもしれないということです。

それは、心の広さに反比例すると思います。心が大きければ大きいほど、胸に矢が刺さるスペースが狭くなると思います。


私は昔学生の頃、イラストレーターになりたいと思っていました。
が、親が、絵の道に進むのを反対したから、この夢は終わってしまった。なんてずっと思い、それこそ、反対した親を恨んでいたりもしていました。おはずかしい。

今思えば、反対されようと、決めるのは自分。
学校に行けなくても、いろんな道があったはずですし、何よりも、親のせいにして、自分の力量のなさを言い訳していたに過ぎなかったと思います。
何年もつまらない生活をおくっていたなぁ〜と思います。

自分がその事に気づき、人のせいにしなくなってからは、不思議なことに、HPのデザインや、チラシのレイアウトなど、気づくとそんな事していたりします^^
執着していたのは、本当に自分だったと感じます。

これは、人間関係にも言えることだと思います。
自分自身、家族関係、会社や、世間体、マスコミ、国際情勢などにも。

恩讐を愛する。
愛するまでいけなくとも、せめて、許すこと。
それでも、とても太くて大きな矢を抜かなくてはならない作業だと思います。
そう、簡単なことではありません。
でも、抜いてしまったら、とても身が軽くなることと思います。
そして楽しい人生になると思います。

頭で分かるだけでなく、体で、心でわかるようになるには、まだまだな私だなと感じるのでした。

海のような宇宙のような広い心にないたいなと思います。


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posted by はっぴー at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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