2009年06月28日

苺のつづき

この物語をお父様にお話しした時に、驚くべきことが起きたのです。話を聞くやいなやお父様は、こうおっしゃいました。「うん。それは分かるけど、それならその苺を、そのねずみと虎にもやらないとね!」と。

自分の命であるその「苺」を、よりによって自分を滅ぼそうとしている、正にその者に与えるという心をもつこと、その最悪の敵さえも完全に愛するというお父様の心の前に、私は完全に圧倒され、本当に気を失いました。そして、気がついた時には頭がはげていました。
 命を揺さぶる、このような体験をしたあとで、初めて私は正直に、自分は「統一信徒」であると考えることができるようになりました。その前までのお父様という方は、その業績だけは尊敬できる父親にすぎませんでした。

この方にとって「統一原理」は単なる神学ではないということが分かりました。
お父様の教えの全体であると思っていた「原理講論」は、実はそのうわっつらをなでているだけだ、ということに気がつきました。ここにおいて、私は統一理念と、その創始者の広範囲にわたる教えについて、学究的な関心を深めるようになっていったのです。

「はげ頭と苺」P31〜P35

昨日(7月27日)私のブログで紹介した”苺”の話を聞いて、ねずみと虎にもやらなくちゃなんて自然と当たり前のように出てくるなんて、そうな発想はなかなか出ないと思います。
その人の考えているのは何だろう?とまず考え、からかってるのかな?とか、何言ってんの。くらいに思ってしまうかもしれません。

親子だからこそ感じた世界もあったと思いますが、それ以上に謙虚になってどういう意味だろうかと受け取らなければ、そのまま受け流してしまうかもしれない、ちょっとした会話にすぎなかったかもしれません。

当たり前のように、それが自然と話された、文先生の言葉に、やはり、”恩讐を愛する”ことを実践してこられた方だからこそだと、思わずにはいられませんでした。

ダンベリーでの事を思い出します。
↓くわしくはこちらをご覧下さい
*cowntdown2013.1.13*
*hiraのブログ*

そして、昨日見た再現ドラマの松本サリン事件の被害者、河野義行さんと少しダブル部分を感じました。
この方は、警察やマスコミに犯人扱いをされながらも、人を憎まず、そして、元オウム信者でさえも、今では友人関係ですらあると言います。

通過してみないとわからない境地というものはあるのだなとしみじみ感じました。

無実でありながら、いわれのない中傷罵倒をあびせられながらでも、かかんに立ち向かい、家族を守り、しかし人を憎まないところは私もみならっていきたいと感じました。
心の強い者になっていきたいと思いました。


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posted by はっぴー at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | はげ頭と苺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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