2009年06月19日

【万物を造られた目的】

本来、神様は天地万物を遊び道具として造られたのではありません。
趣味で造られたのではありません。
目的も方向もなく、なんらの理念的な内容もなく、ただ造られたのではありません。
それは大きな目的と大宇宙の理念をもって造られました。
それゆえ極めて微小な物から宇宙に至るまで、すべての存在物には、神様の心情を通じた理念が宿っているということを私たちは否定することができません。
それでは、このような理念をもって造られた目的は何なのでしょうか。
神様の愛を中心とした理念の世界、すなわち愛とともに通じ、愛とともに喜び、愛とともに生き、愛とともに死ぬという世界を目的とされたに違いないのです。

「真の神様」P140

今日、日本の学校で習う宇宙の誕生については、宇宙のチリやガスから偶然この地球や生命が誕生したと習うと思います。
そして、進化論を信じていると思います。

科学者の中でも、それだけでは、つじつまが合わない内容が沢山あり、今でも研究されています。そこで、神様が、目的があって造られたとする方が、しっくりいくと言う学者もいるそうです。

科学も、仮説をたて、いろいろな実験やデーターを基に、解明をしていくと思います。科学の世界では、統計学(Wikipedia)が、基本とされていると思います。
絶対だと思われていたことに矛盾があるかぎり、科学者は研究され、いまだに新しい発見をされていると思います。

神様が創造された自然界の中でも、私たち人間も例外ではないと思います。
人相、手相、姓名判断、四柱推命においても、なんらかの法則があって、当然だと私は思います。
ただたんに、鼻はこうで、目はこうで・・・というように、ただ造られたのではないと思いますが、皆さんはどう思いますか?

人相、手相も、たくさんのデーターを基に、傾向を調べて、こういった鼻の持ち主は、こんな人生をおくった傾向があると、すべて調べに基づいた内容だということをご存知でしょうか?
いわゆる、統計学により、成り立っています。

科学も、その統計学により解明されているのに、科学は信じれるが、神様、人相は、なんの根拠もないと、どうして言いきれるのでしょう?

もし、違いがあるとすれば、それは 偏見 の二文字ではないでしょうか?

統計学は、絶対的なものではないかもしれません。
しかし、科学も、統計学を基本としています。
だからこそ、今も議論され、研究され続けています。
ならば、神様についても同じ事が言えると思います。

もっと愛があれば、見えてくるものもたくさんあると私は思います。

なぜなら、神様は愛によってこの世界を創られたからです。
愛が無いのは私なのだと謙虚になって、生きていきたいです。


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posted by はっぴー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 真の神様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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