2009年06月27日

今や農夫には、腹をすかせてよだれを滴らせている何ものかの、息遣いまでも聞こえてきました。命の危険を感じて、農夫は一目散に走り始めました。
突然、目の前に崖が現れました。その獣は、後ろからますます近づいてきます。農夫は思い切って跳びました。空中をくるくる回りながら、幸運にも一本のつるをつかみ、そのつるにつかまって助かりました。
上を見ると、崖っぷちから、その獣が姿を現し、下を見下ろしていますーそれは巨大な虎でした。
虎は言いました。「こっちに上がってこい。食べてしまうぞ」と。その瞬間、今度は下を見下ろすと、暗闇からもう一匹の別の虎が姿を現しました。そして、「降りてこい。食べてしまうぞ」と言うのです。それで終りではありません。再び、上を見上げると、一匹の黒いねずみと一匹の白いねずみが唯一の命綱であるそのつるをかじっているではありませんか。
その絶体絶命の瞬間、目を開けてみると、ちょうど農夫の目の前に、甘くておいしそうな苺がありました。農夫はその苺を取って口に入れましたーそのおいしかったことといったら・・・・。

実はこの物語、私たちすべてーいわば人間が置かれた状況ーのことを言っているのです。

黒と白のねずみは、それぞれ夜と昼のこと。
避けることの出来ない死か苦しみ。

この物語のいわんとするろころは、たとえその中にあっても、人生の甘くておいしい「苺」−例えば、日曜日に公園を散歩する時の美しい日没とか、友達との議論、等々ーに目を留めることを忘れてはならないということです。

「はげ頭と苺」P29〜P30

この物語を読んで、なるほど。と私は思いました。
本の題名にもある苺ですよね。
苺は人生の甘くておいしい部分という事なんですね。
そして、誰もがいずれ訪れる”死”と”生”を上手い具合に現しているなと思いました。

死んだらどうなるのか、何のために生きているのか、あまりにもわからなくなってしまった、自分の生きている意味とは。
分かっていたら、こんなに恐怖には思わなかったと思います。

しかし、ここでの話は、これで終わるのではありません。
これからが本題で、お父様。文鮮明先生がどんな方なのか証しが書かれています。それはまた明日にとっておきます^^

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2009年06月26日

屋根裏部屋

社会は、私たちが不可避的につくってしまう、願わない垢によって、私たちの知覚が、それを自分の当たり前の汚れとして受け入れてしまうように働きます。それが私たちの心をうまく説得し、とりこにしてしまう過程は、実に気がつくことができないほどゆっくりとしていて、ちょうど腫瘍ができるとき、ゆっくりと音もなくでき始め、ついには激しい痛みとともに、突然現れるのと似ています。
私たちは自分が善だと思うものを善として受け入れ、また自分には悪だと思われるものは悪として受け入れるように慣らされています。

開放とは実は何なのか、ということに気がついたのです。
開放とは、ハナニム(神様)が私たちに体験させてくださるすべてのものーそれが私自身の判断によれば善であれ悪であれーに対し、感謝の姿勢を保ち、他者を全く、また無条件に受け入れられる能力のことをいうのだと、次第にわかってきたのです。

「はげ頭と苺」P23,27

私はこの”屋根裏部屋”は、私たちの心の中、奥底のことを言っているのかなと思います。

やらなければならない事を、心の底ではしなければと思っていても、なにかと理由をつけて目をそむけたり、後回しにしたりして。
悪意に満ちた偏見をうのみにして他を聞き入れないとか。
理由をつけて楽な道を行こうとしていたり。
その方が自分に都合がいい場合もあります。

他にも、”恩讐を愛する”が、あります。
これはなかなかできることではありません。
本当に恩讐を愛することができた時、本当の意味での開放がされるのかと思います。

全てに当てはまると思います。
世界情勢についても、宗教間においても、反対派に対しても。

友人関係や、親子関係、兄弟関係。自分自身。
いろいろ皆、実のところ、感じてきた世界ではないでしょうか?
全てを受け入れて、感謝をすることのできる自分になれたのなら、私の心の中にも天国が生まれてくるのではないでしょうか。

それにはまず、開放されることが必要だと思いました。

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2009年06月25日

はげ頭と苺

今日からは、この本を読んでいこうと思います。

「はげ頭と苺」
はげ頭と苺.jpg

文亨進著 光言社

著者である文亨進(ムン・ヒョンヂン)氏の事を紹介します。

1979年9月26日、文鮮明師と韓鶴子女史夫妻の7男としてニューヨーク州のウェストチェスターで生まれる。
ハーバード大学で学士学位を取得し、現在、同大学の神学大学院博士課程を履修。

「はげ頭と苺」は父、文鮮明師の精神と言葉を、若き感性と深い知恵で受け止め、率先して実践し体得した「世を照らす真の指導者」の境地。兄の死によって知り得た世界、何気ない会話で知った父親の偉大な精神、神への確信へとつながる証、などの内容が書かれています。

まだ小さかったこともあり、榮進兄さんが亡くなるまでは、まだ愛する人を失った悲しみや、絶望感、無力感を味わうことはありませんでした。
今や私には、多くの新しい疑問や新しいプライオリティー(優先事項)が出てきました。最大のプライオリティーは、「人生のすべての瞬間を最大限に生きる」ということです。
以前は、着る服や車やぜいたくの中に、幸せがあると考えていました。格好良さやファッション、見掛けの良さに満足が得られると思っていたのです。人気のあることや、羽振り良く生きて注目を浴びることの中に、満たされる道があると思っていました。しかし間もなく、それらが醜い道だということが分かりました。そうして、別の方向に答えを求めるようになっていったのです。

「はげ頭と苺」P14

私も以前は、物質的な物の裕福さが幸せにつながっていると感じていました。
もっとお金持ちなら、もっと美人なら・・・なんて(^ ^;)
そうしたら、私の人生はもっと楽しいものになったんじゃないかと勘違いをしてました。
見えないものの方がもっと大切なのに。

メシアの子供は生まれた時からメシアの子供で、私とは別世界のお方だと思っていましたが、そうではなく、私達と同じ様にいろいろな心情を通過され、悟られて、今があるのだとあとあと知りました。

そんな文亨進氏の告白とも、証言ともいうような内容を読みながら、私のたらない感想をつづっていきたいと思います。

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