2009年06月30日

私は、この方の心からの笑いと、赤ちゃんのような目がほほえんでいるのを見ました。私の息子を胸に抱えて、ゆっくりと前後に揺すっておられる姿の中に、その優しさを見ました。その傷だらけの腕を伸ばして、愛と慈悲の心で御自分の死を命令した男を、兄として抱擁されるその姿の中に、輝く光彩を見ました。
それは驚くべき赦しのメッセージであり、文字どおり、神聖な慈悲の心です。自分を殺害しようとした人間を許すだけでなく、愛するということは、実践しようとするには最も難しい、宗教的、かつ霊的な行為の一つでしょう。何の釈明も謝罪も求めずに、ただ純粋に、深く愛するのが、まさしくお父様が実践されたことでした。
敵を許すだけでなく、あえて言えば、愛することさえできる、ということが分かるならば、どれだけ心が豊かになるでしょうか。私たちは、愛のほうが憎しみや恨みよりも何倍も強力であり、かつ永続するということを理解できれば、自由が得られます。
私は自分自身に、このように尋ねてみざるを得なくなりました。「いったい自分は、どんな憎しみや恨みを心に抱いているのだろうか」と。

「はげ頭と苺」P46

敵。
敵にもいろいろあると思います。
まさに自分を殺害しようとする敵。
そしてもう一つ。
それは自分の中にある、ねたみ、嫉妬、傲慢、名声などの内なるサタンという名の敵。

堕落性が染み付いている自分に対しての憎しみもあると思います。
心と体がバラバラで、良いことをしたいと思ってみても、実行に出せない自分。
愛することが、なんのためらいもなくできる事は、とても自由で、開放された心の世界であると感じます。

その境地に達するには、まだまだ自分自身、足りないものなのだと悔いるばかりです。
もっと前進していけれるように前を向いていきたいと思いました。

”何の釈明も謝罪も求めずに、ただ純粋に、深く愛するのが、まさしくお父様が実践されたことでした。”
言葉だけではなく、自らが常に実践してこられ、そして今もなお、神様、全人類のため、先頭を歩まれています。
↓↓↓
世界に拡がる統一教会・統一運動の検証

最後に、Global Peace Festival のテーマソング「One Family under God」です。
↓↓↓


とてもきれいで、心があらわれ、自信がなくても、弱い自分であっても、少しずつでも頑張っていこう!と思える大好きな歌です。

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2009年06月29日

あなたは何者なのか

今やりたいことは、言ってみれば、苺の存在に気づいて、次にはそれをねずみと虎に与えること、ということになるでしょうか。

自分の過去を書き換えることはできないでしょう。未来を書くこともできません。しかし、今を書くことはできますー”人生”という本の、砂のように変わりやすいページをめくるために指をなめるこの時に、開かれていく、その、”今”を。私は、今もなお息をしているし、この地球上に存在できる特権を与えられています。ところで、あの鍵はーあの屋根裏部屋の宝の箱の鍵、私たちが何とかして見つけようとしているあの鍵は、どうなったでしょうか。
実は私は、その魂を開放する鍵が何かを悟りました。それは、私たちなのです。なぜなら、鍵は、私たちを宝に導いてはくれず・・・その鍵自体が宝なのです。

ー今、あなたの周りにある宝。
時が来たならば、悟るでしょう。あなたがその宝で”ある”ことを。

「はげ頭と苺」P39

苺とは、人生の一番良いところ、私としては、神様とのつながりを意味しているのかなと思います。
神様と私との関係を知ることは、人生において、とても重要であると思うからです。
そして、その神様をまだ知らずに迫害してくる方や、無神論者に伝えることも、ねずみや虎に与えるものの内の一つになるのではないかと思いました。

いろんなニュースで事件や事故、病気などで実に多くの方が毎日亡くなられています。
そんな中、今、生かされている自分、命のある自分は、教えを実践したり、研究したり、いろいろとやれる”時”をいただいていると思います。

謙虚になって、心の中の、本心にたちかえると共に、神様が創造した自然の中に、そして、創造された傑作品の中の傑作品である私たち人間が一番の宝物だと悟っていくには、やはり、自分しだいなのだと感じました。

私は何者なのか。
私は神の子と、どうどうと言える、そんな神様の前に恥じない自分自身となれるように、神様に近づけれるように、頑張っていきたいと思いました。

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2009年06月28日

苺のつづき

この物語をお父様にお話しした時に、驚くべきことが起きたのです。話を聞くやいなやお父様は、こうおっしゃいました。「うん。それは分かるけど、それならその苺を、そのねずみと虎にもやらないとね!」と。

自分の命であるその「苺」を、よりによって自分を滅ぼそうとしている、正にその者に与えるという心をもつこと、その最悪の敵さえも完全に愛するというお父様の心の前に、私は完全に圧倒され、本当に気を失いました。そして、気がついた時には頭がはげていました。
 命を揺さぶる、このような体験をしたあとで、初めて私は正直に、自分は「統一信徒」であると考えることができるようになりました。その前までのお父様という方は、その業績だけは尊敬できる父親にすぎませんでした。

この方にとって「統一原理」は単なる神学ではないということが分かりました。
お父様の教えの全体であると思っていた「原理講論」は、実はそのうわっつらをなでているだけだ、ということに気がつきました。ここにおいて、私は統一理念と、その創始者の広範囲にわたる教えについて、学究的な関心を深めるようになっていったのです。

「はげ頭と苺」P31〜P35

昨日(7月27日)私のブログで紹介した”苺”の話を聞いて、ねずみと虎にもやらなくちゃなんて自然と当たり前のように出てくるなんて、そうな発想はなかなか出ないと思います。
その人の考えているのは何だろう?とまず考え、からかってるのかな?とか、何言ってんの。くらいに思ってしまうかもしれません。

親子だからこそ感じた世界もあったと思いますが、それ以上に謙虚になってどういう意味だろうかと受け取らなければ、そのまま受け流してしまうかもしれない、ちょっとした会話にすぎなかったかもしれません。

当たり前のように、それが自然と話された、文先生の言葉に、やはり、”恩讐を愛する”ことを実践してこられた方だからこそだと、思わずにはいられませんでした。

ダンベリーでの事を思い出します。
↓くわしくはこちらをご覧下さい
*cowntdown2013.1.13*
*hiraのブログ*

そして、昨日見た再現ドラマの松本サリン事件の被害者、河野義行さんと少しダブル部分を感じました。
この方は、警察やマスコミに犯人扱いをされながらも、人を憎まず、そして、元オウム信者でさえも、今では友人関係ですらあると言います。

通過してみないとわからない境地というものはあるのだなとしみじみ感じました。

無実でありながら、いわれのない中傷罵倒をあびせられながらでも、かかんに立ち向かい、家族を守り、しかし人を憎まないところは私もみならっていきたいと感じました。
心の強い者になっていきたいと思いました。


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